小津安二郎:成り立ち

小津安二郎:成り立ち

幼少期から映画への目覚め

幼少期から映画への目覚め

1903年、東京・深川に生まれた小津安二郎は、裕福な商家の息子として育ちました。父の仕事の関係で松山で過ごした少年時代、活動写真に魅了され、映画への情熱を育んでいきました。当時の松山は文化的な刺激に富んだ環境で、若き小津の感性を大きく育てることとなりました。学生時代から映画館に入り浸る日々を送り、特にチャールズ・チャップリンやデビッド・W・グリフィスの作品に強い影響を受けました。

松竹での助監督時代

松竹での助監督時代

1923年、松竹大船撮影所に入社した小津は、当初は撮影助手として働き始めます。その後、田中澄江監督の下で助監督として経験を積み、映画制作の基礎を徹底的に学びました。この時期に培った技術と知識は、後の小津作品の礎となっていきます。特に、物語の構成方法や撮影技術について、独自の視点を養っていきました。

監督デビューと戦争体験

監督デビューと戦争体験

1927年に『懺悔の刃』で監督デビューを果たした小津は、その後、独自の演出スタイルを確立していきます。しかし、1937年に召集され、中国大陸で従軍。この戦争体験は、戦後の作品に大きな影響を与えることとなります。特に、人間の日常や家族の絆といったテーマへの深い洞察は、この経験に基づくものと言われています。

戦後の新たな出発

戦後の新たな出発

戦後、小津は『晩春』(1949年)で復帰を果たし、以降、日本の家族や社会の変化を丁寧に描いていきます。戦前とは異なり、より静謐で洗練された演出スタイルを確立し、「小津調」と呼ばれる独特の映画語法を完成させていきました。この時期の作品群は、現代においても日本映画の金字塔として高く評価されています。

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