山本薩夫監督の代表作品を読み解く - 社会派映画の真髄

山本薩夫監督の代表作品を読み解く - 社会派映画の真髄

監督デビューから戦後復興期まで

監督デビューから戦後復興期まで

1937年の監督デビュー作『お嬢さん』、そして大ヒットを記録した『母の曲』から、山本薩夫の映画監督としての才能は開花しました。戦後最初の作品となった1947年の『戦争と平和』は、キネマ旬報ベストテン2位に選ばれる高い評価を得ました。1948年には『暴力の街』を製作し、この作品は製作費を上回る興行収入を記録。社会派映画監督としての地位を確立していきました。

新星映画社時代の代表作

新星映画社時代の代表作

1950年、レッドパージを経て設立した独立プロ・新星映画社では、『箱根風雲録』『真空地帯』『太陽のない街』など、反骨精神に満ちた社会派作品を次々と世に送り出しました。特に1959年の『荷車の歌』は、全国の農村婦人から10円ずつのカンパで製作された農村映画の傑作として知られています。移動映写機での全国上映を行い、その独自の製作・配給方式は話題を呼びました。

大手映画会社での活躍

大手映画会社での活躍

大映での『忍びの者』は、市川雷蔵主演で忍者を初めてリアルに描いた作品として大ヒット。続く『傷だらけの山河』『証人の椅子』、東映での『にっぽん泥棒物語』なども高い評価を得ました。特に1966年の『白い巨塔』は、山崎豊子原作の医療界の闇に切り込んだ問題作として、山本の代表作の一つとなっています。

晩年の集大成作品群

晩年の集大成作品群

1969年の長編記録映画『ベトナム』以降は、『戦争と人間』三部作で日本の大陸進出の歴史を描き、『華麗なる一族』などの山崎豊子作品や、『金環蝕』『皇帝のいない八月』といった社会派作品を精力的に手がけました。最後の作品となった『あゝ野麦峠・新緑篇』まで、一貫して社会の深層に切り込む作品作りを続けました。

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