『A』から『FAKE』まで - 森達也監督の代表作品を振り返る

『A』から『FAKE』まで - 森達也監督の代表作品を振り返る

オウム真理教を内側から捉えた『A』シリーズ

森達也監督の名を広く知らしめたのは、1998年に発表されたドキュメンタリー映画『A』だ。地下鉄サリン事件後のオウム真理教、特に広報副部長だった荒木浩を中心に、社会とオウム信者の関わりを内側から撮影したこの作品は、大きな反響を呼んだ。タイトルの「A」は荒木(Araki)のA、オウム(Aum)のAに由来するとされている。

当初はフジテレビの番組企画として始まった撮影だったが、オウム真理教を「悪く描いていない」という理由で中止を命じられる。しかし森監督は独自に撮影を継続し、自主制作の映画として完成させた。この作品はベルリン国際映画祭をはじめ、香港、釜山、バンクーバーなど世界の映画祭で上映され、高い評価を得た。

森監督の映像作品の出発点となったこの『A』は、単に犯罪集団の内部を覗き見るというセンセーショナルな手法ではなく、「絶対悪」と単純化された集団から社会を逆照射するという試みであった。この視点の転換こそが、森監督の創作姿勢の核心だといえるだろう。

メディアリテラシーを問う『ドキュメンタリーは嘘をつく』

続編となる『A2』(2001年)では、施設を追われ各地に分散して活動する信者たちと地元住民の対立や融和など、社会との軋轢を描き出した。山形国際ドキュメンタリー映画祭では特別賞と市民賞をダブル受賞。その後、森監督はオウム真理教に関する著書『A3』を出版し、2011年に講談社ノンフィクション賞を受賞した。

2006年には『ドキュメンタリーは嘘をつく』という番組を企画・監修。この作品は、ドキュメンタリー映画の制作過程そのものを題材にし、メディアリテラシーの重要性を訴える内容となっている。原一男や佐藤真など著名な監督も登場する、いわばドキュメンタリーについてのドキュメンタリーであり、「ドキュメンタリーは真実を映し出す」という一般的な認識に疑問を投げかけた。

この時期の森監督の作品は、単に社会的テーマを扱うだけでなく、映像表現そのものの可能性と限界を探求する自己言及的な性格を強めていった。視聴者がどれだけ無意識的にドキュメンタリーをノンフィクションだと信じ込んでいるかを実験的に示し、メディアを批判的に読み解く重要性を提起したのだ。

東京新聞記者を追った『i 新聞記者ドキュメント』

2016年、森監督は『A』から15年ぶりの単独監督作品となる『FAKE』を発表した。この作品はゴーストライター騒動で注目を集めた作曲家・佐村河内守に密着したドキュメンタリーだ。「現代のベートーベン」と称され、聴覚障害を抱えながら作曲活動を行っていたとされる佐村河内が、実は音楽家の新垣隆がゴーストライターを務めていたという告発を受けた後の姿を追っている。

『FAKE』は単に佐村河内個人の問題を追うのではなく、メディアや社会が「物語」を消費する構造にまで視点を広げている。劇場公開時は「衝撃のラスト12分」という宣伝文句で話題を呼び、多くの観客を集めた。タイトルの「FAKE」には、見せかける、いんちき、虚報などの意味があり、森監督は「真実とは何か」「虚偽とは何か」という問いを投げかけている。

2019年には、東京新聞社会部記者の望月衣塑子を追った『i 新聞記者ドキュメント』を発表。政府の記者会見で鋭い質問を繰り返し、時に官房長官との激しいやり取りで注目を集めた望月記者の姿を通して、日本の報道の問題点やジャーナリズムの現状に迫った。この作品は第32回東京国際映画祭の日本映画スプラッシュ部門で作品賞を受賞し、メディアと権力の関係性という現代的テーマを鋭く問いかけた。

初の劇映画『福田村事件』

2023年、森監督は初めての劇映画『福田村事件』を発表した。関東大震災発生から100年となる9月1日に公開されたこの作品は、震災から5日後の1923年9月6日に千葉県の福田村で起きた実際の虐殺事件を題材にしている。朝鮮人と間違われた香川からの行商団が村人たちによって殺害された事件を描き、集団心理がいかに暴走するかという普遍的なテーマに迫っている。

井浦新と田中麗奈をダブル主演に迎えたこの作品は、歴史の闇に葬られてきた事件に光を当て、現代社会にも通じる問題を提起した。2024年には日本アカデミー賞で優秀作品賞と優秀監督賞を受賞するなど高い評価を得て、森監督の新たな挑戦として注目を集めている。

森達也監督の作品には、「社会的に正しいとされる視点」からあえて離れ、別の角度から事象を見つめる姿勢が一貫している。それは単に異端を狙ったものではなく、物事の真実を多角的に捉えようとする誠実さから生まれている。また、メディアや社会の構造そのものを問い直す視点も特徴的だ。

ドキュメンタリーから劇映画まで、森監督は常に私たちの「見る」という行為そのものに問いを投げかけ続けている。その作品は時に物議を醸すが、それこそが視聴者にとって自らの価値観や思考の枠組みを再考する貴重な機会を提供しているのだ。

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