
原点回帰の物語 - 柴田剛「ことの始まり」が描く創造の源泉
共有する
静謐なる出発 - 作品の概要と背景

2023年、東京都現代美術館で開催された「未来への回帰」展の中心作品として発表された柴田剛の「ことの始まり」は、彼のキャリアにおける転機を示す重要な作品として評価されている。15分の短編実験映像と、それに連動するインスタレーション作品で構成されるこの作品は、「創造の源泉とは何か」という根源的な問いを投げかける。幼少期に訪れた海辺の記憶をモチーフに、波の音、光の反射、砂の質感といった感覚的要素を極限まで抽象化し、再構築している点が特徴だ。映像は全編モノクロームで構成され、時折フラッシュのように差し込む強烈な白色の光が観る者の網膜に強い印象を残す。このミニマルな表現は、柴田の商業映画やミュージックビデオ作品とは一線を画し、より実験的で個人的な表現への回帰を示している。作品タイトルの「ことの始まり」は、創作活動の根源を探るという意味と同時に、芸術家としての自身の原点回帰をも意味している。
感覚の再発見 - 表現技法と視聴覚体験

「ことの始まり」の最も革新的な側面は、その独特の視聴覚表現にある。従来の映像作品とは異なり、この作品では視覚と聴覚の境界が意図的に曖昧にされている。映像部分では、アナログフィルムをデジタル処理した特殊な質感の画像が用いられ、グレインの粗さや光の揺らぎが触覚的な印象を与える。音響面では、環境音を極限まで分解し再構成する手法が採用され、波の音が時に人間の心音のようにも、時に電子音楽のようにも聞こえる多義的な音響空間が創出されている。特筆すべきは、映像と音が常に一対一で対応しているわけではなく、時に同期し、時にずれるという関係性だ。このずれが観客の知覚に微妙な違和感を生み出し、日常的な感覚を再検証する契機となる。インスタレーション部分では、3面のスクリーンに投影される映像と、12チャンネルのサラウンドシステムにより、観客は文字通り作品の中に包み込まれる。美術評論家からは「感覚の解体と再構築による原初体験への回帰」と評され、従来の映像芸術の枠組みを拡張する試みとして高い評価を受けている。
記憶と時間の探究 - 主題の深層

表面的には抽象的な視聴覚体験として鑑賞できる本作だが、その深層には記憶と時間という重層的なテーマが存在する。作品の中核を成す海のイメージは、柴田自身が5歳の時に初めて訪れた海の記憶に基づいているという。しかし興味深いのは、この作品が単なる回想や追憶ではなく、記憶そのものの不確かさや流動性を主題化している点だ。映像の中で繰り返し現れる波のパターンは少しずつ変化し、同じように見えて決して同じではない。これは「ヘラクレイトスの川」の寓話を想起させ、同じ記憶に立ち返ることの不可能性を示唆している。また、映像の中で時間は直線的に進行せず、時に停止し、時に逆行し、時に加速するという特異な構造を持つ。この非線形的な時間表現は、人間の主観的な時間経験や記憶の中での時間感覚を反映している。展示に付随したアーティストステートメントの中で柴田は「私たちは常に『始まり』に立ち戻ろうとするが、それは常に新たな始まりでしかない」と述べており、原点回帰の不可能性と必然性という逆説が本作の哲学的基盤となっている。
芸術的転換点 - 作品の位置づけと反響

「ことの始まり」は、商業映画やミュージックビデオで国際的な成功を収めてきた柴田剛の作家性において、重要な転換点を示す作品として美術界で大きな反響を呼んだ。本作以前の柴田作品が物語性や視覚的な華やかさで注目されていたのに対し、本作ではそれらの要素を意図的に排除し、より本質的で還元的な表現を追求している。この方向転換は当初、ファンや評論家の間で賛否両論を引き起こした。しかし、ヴェネツィア・ビエンナーレでの特別展示後、その芸術的価値は広く認められるようになり、現在では現代日本を代表する実験映像作品の一つとして国内外の美術館に収蔵されている。特に注目すべきは、本作が若い世代の映像作家に与えた影響だ。商業的成功を収めた作家が自身の原点に立ち返り、より実験的な表現へと向かう姿勢は、多くの若手アーティストに創作の本質について再考する機会を与えた。柴田自身は本作の成功後、「商業と芸術の二項対立ではなく、それらを超えた表現の可能性を追求したい」と語っている。「ことの始まり」は、単なる一作品を超えて、現代の映像表現における原点回帰の重要性を問いかける触媒となっているのだ。