
映画界の名伯楽コッポラ:人材育成と映画史への永続的影響
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ニューハリウッド運動の牽引と若手人材育成
フランシス・フォード・コッポラは単なる映画監督としてだけでなく、映画界の人材育成者としても多大な貢献を果たしてきた。1969年にジョージ・ルーカスら若手仲間とともに設立した「アメリカン・ゾエトロープ」は、当時のハリウッド大手スタジオ体制に対抗し、若手映画人が自由に作品を作る場を目指した革新的な試みだった。この会社は後のニューハリウッド運動の象徴となり、「映画監督=作家」という概念を世に定着させる重要な役割を果たした。
コッポラが設立したアメリカン・ゾエトロープは、ジョージ・ルーカスをはじめ多くの新人にチャンスを与えた。事実、ルーカスの出世作『アメリカン・グラフィティ』はコッポラが製作を支援した作品であり、これがなければ後の『スター・ウォーズ』の誕生も危うかったかもしれない。ほかにもキャロル・バラード監督の『ブラック・ステリオン』や娘ソフィア・コッポラ監督の『ロスト・イン・トランスレーション』など、プロデューサーとして裏方に回り優れた作品を世に送り出すことにも尽力している。
ニューシネマ期の象徴的人物として、コッポラは商業映画の現場でも監督の芸術的ビジョンが尊重される風潮を高めた。マーティン・スコセッシやブライアン・デ・パルマらと並び称されるリーダー的存在として、従来のハリウッドの因習を打ち破り、作家個人のビジョンを優先した作品作りを志向した。「俺たちが映画を変えるんだ」という1960年代的な理想に燃えており、実際に『ゴッドファーザー』や『地獄の黙示録』といった作品で商業性と芸術性を両立させてみせた。現在まで続く「監督中心主義」の流れを作った一人として、その影響は計り知れない。
俳優発掘の慧眼と演技指導の手腕
コッポラは俳優の才能を見抜く洞察力に優れ、多くの無名俳優をスターダムに押し上げてきた。『ゴッドファーザー』では当時無名だったアル・パチーノをマイケル役に抜擢し、スタジオ幹部の反対を押し切ってキャスティングを実現させた。「マイケル役はパチーノ以外にありえない」と譲らず、結果的にパチーノはこの役でスターダムにのし上がった。また『ゴッドファーザー PART II』では若き日のヴィトー・コルレオーネ役にロバート・デ・ニーロを抜擢し、デ・ニーロは同役でアカデミー助演男優賞を受賞して以後ハリウッドを代表する俳優として活躍していく。
1980年代の『アウトサイダー』『ランブルフィッシュ』では、まだ無名だった若手俳優たちを積極的に起用した。トム・クルーズ、マット・ディロン、ニコラス・ケイジ、ダイアン・レインなど、その多くが後に大スターとなった。コッポラの現場は時に俳優たちの演技アンサンブルを重視する「家族的」な雰囲気を持ち、リハーサルで互いに役になりきって食事会を開くなど、役柄同士の人間関係を実体験させる工夫も凝らされた。これは『ゴッドファーザー』撮影前にコッポラが行った有名な試みである。
マーロン・ブランドとの関係も特筆すべきものがある。『ゴッドファーザー』でヴィトー・コルレオーネ役にブランドを起用することに強いこだわりを見せ、当時トラブルメーカーとの評判から製作会社が猛反対する中、粘り強く説得してキャスティングを実現させた。ブランドはこの役で見事アカデミー主演男優賞を受賞し、コッポラの判断が正しかったことを証明している。コッポラは俳優の潜在力を信じ抜き、必要とあらば徹底的に粘って名演を引き出す職人肌の演出家である。その姿勢はブランドの再生やパチーノ、デ・ニーロら新星の発掘によって証明された。
家族ぐるみの映画制作と文化事業への貢献
コッポラの映画制作における特徴の一つは、家族ぐるみでの創作活動である。父親のカーマイン・コッポラは『ゴッドファーザー』や『地獄の黙示録』など幾つかの作品でスコア作曲やフルート演奏を担当し、妹のタリア・シャイアは『ゴッドファーザー』シリーズで主人公の妹コニー役を演じた。甥のニコラス・ケイジやジェイソン・シュワルツマンも彼の作品に出演している。娘のソフィア・コッポラは幼少期から父の作品に端役で登場し、『ゴッドファーザー PART III』ではヒロインに抜擢された後、後年自ら映画監督として成功を収めた。
このような一族の芸術的才能の結集は、コッポラ映画のユニークな側面である。「家族」というテーマがほぼ全てのコッポラ作品に通底しているのも、彼自身の家族観や体験を物語に投影しているからである。裏社会に生きる家族を描いた『ゴッドファーザー』、戦場という極限状態で疑似家族的な絆と狂気を描いた『地獄の黙示録』、父と娘の時空を超えた和解を描いた『ペギー・スーの結婚』や兄弟の確執をテーマにした『テトロ』など、様々な形で家族の物語を映画に織り込んでいる。
映画制作以外でも、コッポラは文化芸術への貢献を続けている。文芸雑誌「Zoetrope: All-Story」を創刊し、新人作家の短編小説や脚本を紹介する場を提供している。また2000年代にはワイン醸造やレストラン経営、リゾートホテルの運営など映画以外の事業にも乗り出した。特にワインビジネスは大成功を収め、「コッポラ・ワイナリー」のワインは各国の映画祭やパーティーで振る舞われるなど映画とワインを結ぶブランドとして知られている。このワイン事業の成功により経済的に安定したことで、自主映画製作への投資や新技術への挑戦にも積極的になれた。
映画史における評価と後世への影響
コッポラは映画史上もっとも偉大で影響力のある映画作家の一人として広く認知されている。受賞歴も華々しく、これまでに5つのアカデミー賞を受賞し、英国アカデミー賞やゴールデングローブ賞も複数獲得している。さらにカンヌ国際映画祭パルム・ドールを2度受賞した数少ない映画監督でもあり、アメリカ映画協会の生涯功労賞やアカデミー賞のアーヴィング・タールバーグ賞など、その功績を称える名誉賞も受けている。2013年には日本政府と日本美術協会から高松宮殿下記念世界文化賞が贈られており、世界的なレベルで映画芸術への貢献が評価されている。
作品面での影響力は絶大である。『ゴッドファーザー』の登場以降、ギャング映画のスタイルが一変したと言われる。それまでのマフィア映画はB級的な扱いも多かった中、コッポラはこのジャンルを芸術の域に高めた。その影響でマーティン・スコセッシの『グッドフェローズ』やブライアン・デ・パルマの『アンタッチャブル』など、後進の監督たちもマフィア映画を撮る際にコッポラの手法から多大なインスピレーションを得ている。また『地獄の黙示録』のビジュアル・音響表現は、以降の戦争映画や映像作品にしばしば引用・オマージュされるなど、映像表現の教科書となった。
コッポラ自身、「自分は映画製作という探求と指導の両方に情熱を持っている」と語っており、新人発掘と映画教育にも熱心だった。多彩なビジネス展開を見せつつも、得た利益を自らの映画製作に再投資し、リスクを恐れず新プロジェクトに挑む姿勢は「映画狂コッポラ」そのものであり、後進の映画人たちにも大きな刺激を与えている。現在も80歳を超えて『メガロポリス』などの新作に取り組むコッポラは、生ける伝説として未来の映画人たちのお手本であり続けている。芸術性と娯楽性を融合させた名作の数々、才能ある俳優・監督の発掘育成、映画製作の在り方そのものへの挑戦など、その影響は今後も永続的に映画界に残り続けるだろう。