森達也監督のドキュメンタリー哲学 - 真実の追求と視点の多様性

森達也監督のドキュメンタリー哲学 - 真実の追求と視点の多様性

「真実」の複層性を掘り下げる映像作家

ドキュメンタリー監督として知られる森達也は、1956年に広島県呉市で生まれ、現在は明治大学特任教授としても活躍している。海上保安官だった父の転勤で幼少期を各地で過ごし、立教大学法学部卒業後は就職活動をせずにアルバイトを転々としながら、7年間ほど演劇活動に打ち込んだという異色の経歴を持つ。このような多様な場所での経験が、後の森監督の多角的な視点の礎になったと言えるだろう。

森達也の作品における最大の特徴は、「真実」の複層性に焦点を当てる姿勢だ。彼のドキュメンタリーは、一般的に「悪」とされるものや、社会から排除された対象に内側から迫り、多角的な視点を提示する。これは単なる取材手法にとどまらず、彼の根底にある哲学でもある。森監督は、単一の「真実」という概念を疑い、様々な角度から対象を見ることの重要性を私たちに問いかけている。

「ドキュメンタリーは嘘をつく」という矛盾の自覚

森監督の代表作『A』シリーズでは、オウム真理教を対象に、社会から悪とされた集団の内側から外の世界を見る視点を提示した。当初はテレビ番組の企画として始まったが「オウム真理教が悪く描かれていない」という理由で撮影中止を命じられる。しかし森監督は自主的に撮影を続け、その結果生まれた作品は日本国内だけでなく世界各国の映画祭で高い評価を得ることになった。

この経験からも分かるように、森監督の創作姿勢には「社会的に正しいとされる視点」から離れ、別の角度から物事を見つめる勇気がある。それは単に反骨精神からではなく、物事の本質を多面的に捉えようとする誠実な姿勢から生まれている。2006年に森監督が企画・監修した「ドキュメンタリーは嘘をつく」という番組も、この姿勢を端的に表している。この作品では、ドキュメンタリーというジャンルにおける「真実」の扱いの複雑さを自ら問いかけ、制作者の視点や編集によって「真実」が構築されていくプロセスを明らかにした。

メディアリテラシーを高める映像体験

2016年に公開された『FAKE』では、森監督はさらに踏み込んだ挑戦を行った。ゴーストライター騒動で注目を集めた佐村河内守に密着し、「誰が嘘をついているのか」という単純な二項対立ではなく、メディアや社会、そして私たち視聴者の「真実」の消費の仕方にまで問いを広げたのだ。「衝撃のラスト12分」という宣伝文句で話題を呼んだこの作品は、視聴者自身のメディアリテラシーを問う装置として機能している。

また2019年には、東京新聞社会部記者の望月衣塑子を追った『i 新聞記者ドキュメント』を発表。菅義偉官房長官(当時)との記者会見での緊張感あるやり取りを通して、日本のメディアと権力の関係性、そしてジャーナリズムの現状に鋭く切り込んだ。この作品で森監督は「この国のメディアはおかしい。ジャーナリズムが機能していない」という問題意識を明確に打ち出し、第32回東京国際映画祭では日本映画スプラッシュ部門の作品賞を受賞した。

真の中立性を求めて

2023年には、初の劇映画『福田村事件』を発表。関東大震災発生から100年となる9月1日に公開されたこの作品で、森監督は実際の歴史的事件を題材に、集団心理の危険性と向き合った。ドキュメンタリーから劇映画へと表現の場を広げながらも、一貫して「別の視点から物事を見る」という姿勢を貫いている。

森達也監督の創作姿勢は、単なる中立を装った両論併記ではない。むしろ、社会的合意が形成されている「真実」に対して、あえて異なる角度から光を当てることで、より深い理解を促すものだ。彼の作品に触れることで、私たちは「真実」という概念の複雑さと、それを多角的に捉える視点の重要性を学ぶことができる。昨今のフェイクニュースが横行する情報社会において、森監督の投げかける問いはますます重要性を増している。私たちが「見えている世界」の向こう側に存在する、もうひとつの視点の可能性に気づくこと、それこそが森達也監督が目指す「真のメディアリテラシー」なのかもしれない。

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