フランシス・フォード・コッポラ:ニューハリウッドを牽引した革命的映画監督
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映画界デビューから独立系製作会社設立まで

フランシス・フォード・コッポラ(1939年生)は、アメリカ映画史を代表する巨匠の一人である。1970年代のニューハリウッド世代を牽引し、ギャング映画ジャンルを革新したパイオニアとして評価されている。大学で演劇と映画製作を学んだ後、低予算映画の名プロデューサーであるロジャー・コーマンに師事し、映画業界に足を踏み入れた。コーマンのもとで編集や演出の腕を磨き、ソ連製SF映画の吹替編集などを任されるうちに才能を認められた。
1963年に初の長編監督作『ディメンシア13』を撮る機会を得ると、以後もいくつかの脚本執筆や監督作を経て評価を高めていった。コッポラの真の革新は1969年に始まる。ジョージ・ルーカスら若手仲間とともに「アメリカン・ゾエトロープ」という独立系の映画製作会社をサンフランシスコに設立したのである。これは当時のハリウッド大手スタジオ体制に対抗し、若手映画人が自由に作品を作る場を目指した革新的な試みだった。
アメリカン・ゾエトロープの設立は、単なる映画製作会社の誕生を超えた意味を持っていた。ハリウッドの商業主義に縛られず、作家性を重視した映画制作を志向するこの会社は、後のニューハリウッド運動の象徴となった。コッポラは「俺たちが映画を変えるんだ」という1960年代的な理想に燃えており、実際に商業性と芸術性を両立させた作品群で映画界に革命をもたらした。
『ゴッドファーザー』で築いた黄金期の頂点

コッポラは1970年代に『ゴッドファーザー』シリーズや『地獄の黙示録』などの大ヒットと批評的成功を収め、キャリアの黄金期を築いた。1972年の『ゴッドファーザー』は封切りと同時に記録的な大ヒットを飛ばし、批評面でも絶賛された。単なるギャング映画の域を超えた重厚な人間ドラマであり、「家族と父と息子の物語」としての神話的な深みを備えていた。コッポラ自身もアカデミー賞の監督賞・脚色賞にノミネートされ、主演のマーロン・ブランドがアカデミー主演男優賞を受賞した。
続く1974年の『ゴッドファーザー PART II』では、若き日のビトー・コルレオーネと息子マイケルの物語を過去と現在の二つの時間軸で交錯させる野心的な構成をとった。前作に勝るとも劣らない評価を得て、アカデミー賞では作品賞・監督賞・脚色賞など主要部門を制した。初めて「続編が作品賞を受賞する」という快挙を成し遂げ、コッポラはアメリカン・ニューシネマの頂点に立った。これら2作品によってギャング映画のジャンル自体を革新したと評されている。
同時期の1974年には『カンバセーション…盗聴…』も発表した。「テクノロジーが人間にもたらす孤独と不安」をテーマにしたサスペンス映画で、コッポラ自身が脚本も執筆した個人的かつ実験的な作品だった。過度にテクノロジーに依存することで人間性が損なわれていくという1970年代当時の社会不安を映し出した硬派な作風で、カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞し、アカデミー賞でも作品賞と脚本賞にノミネートされた。この時期のコッポラは商業作品と個人的作品を巧みに使い分け、映画作家としての地位を確固たるものにした。
『地獄の黙示録』と経営危機からの復活

1979年の『地獄の黙示録』はコッポラの代表作にして最大の試練となった。ベトナム戦争を題材に、ジョゼフ・コンラッドの小説『闇の奥』をモチーフに描いた戦争映画の金字塔である。製作は非常に難航し、フィリピンでの長期ロケ中に台風でセットが壊滅したり、主演のマーティン・シーンが心臓発作で倒れるなど数々のアクシデントに見舞われた。コッポラ自身も私財を投入して撮影を続行し、最終的に予定の2倍以上となる3000万ドル以上の巨額予算を費やして完成させた。
公開後はその圧倒的な映像・音響体験が大きな反響を呼び、カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞するとともに、アカデミー賞でも作品賞を含む8部門にノミネートされた。しかし巨額の製作費を投じた実験的ミュージカル映画『ワン・フロム・ザ・ハート』が1982年に興行的大敗を喫し、経営していたスタジオが倒産の危機に陥った。この失敗により彼は所有していた製作設備を手放し、抱えた巨額の負債返済のため1980年代は比較的低予算の商業作品を精力的に手掛けることを余儀なくされた。
1990年代に入ると復活の兆しを見せ始めた。1990年の『ゴッドファーザー PART III』で一定の興行的成功を収め、1992年の『ドラキュラ』では伝統的なゴシックホラーを大胆に映像化し、久々に興行的ヒットを記録した。コッポラは当時台頭していたデジタル映像技術をあえて使わず、19世紀の映画創成期さながらの撮影トリックやアナログ特殊効果にこだわって製作した。その結果、古典ホラー映画のような重厚でレトロな映像美を実現し、停滞していたキャリアを再び立て直す契機となった。
多方面への挑戦と現代への継続的影響

2000年代に入ると、コッポラは自身のワイナリー経営や文芸雑誌の発刊など映画以外の事業にも注力しつつ、時おり独立系の意欲作を発表した。10年ぶりの監督復帰作『コッポラの胡蝶の夢』や、自伝的要素を含む家族ドラマ『テトロ』、ゴシック風味のスリラー『ツイ・xt』など、実験的で個人的な小規模映画を手がけた。近年では長年温めてきた超大作プロジェクト『メガロポリス』の製作にも取り組み、自身の資金を投じて独立製作で進めている。80歳を超えた今も精力的に新境地を開拓し続けている。
実業家・文化人としてのコッポラも映画界にユニークな足跡を残している。2000年代にはワイン醸造やレストラン経営、リゾートホテルの運営など映画以外の事業にも乗り出した。特にワインビジネスは大成功を収め、「コッポラ・ワイナリー」のワインは各国の映画祭やパーティーで振る舞われるなど映画とワインを結ぶブランドとして知られている。また文芸雑誌「Zoetrope: All-Story」を創刊し、新人作家の短編小説や脚本を紹介する場を提供するなど、広く文化芸術への貢献も行っている。
コッポラの映画史における評価は非常に高い。これまでに5つのアカデミー賞を受賞し、カンヌ国際映画祭パルム・ドールを2度受賞した数少ない映画監督でもある。アメリカ映画協会の生涯功労賞やアカデミー賞のアーヴィング・タールバーグ賞など、その功績を称える名誉賞も受けている。『ゴッドファーザー』の登場以降、ギャング映画のスタイルが一変し、マーティン・スコセッシやブライアン・デ・パルマなど後進の監督たちも彼の手法から多大なインスピレーションを得ている。ニューシネマ期の象徴的人物として、「映画監督=作家」という概念を世に定着させ、現在まで続く「監督中心主義」の流れを作った一人として、その影響は計り知れない。