『狂った果実』から世界へ —— 中平康が日本とフランス映画の架け橋となった軌跡

『狂った果実』から世界へ —— 中平康が日本とフランス映画の架け橋となった軌跡

日本映画界に衝撃を与えた鮮烈なデビュー作

日本映画界に衝撃を与えた鮮烈なデビュー作

1956年、日本映画界に新たな才能が現れました。新人監督・中平康によるデビュー作『狂った果実』の公開です。石原慎太郎の同名小説を原作とするこの映画は、夏の湘南海岸を舞台に、大学生の兄・夏木と高校生の弟・春次が、一人の魅惑的な少女・英子をめぐって繰り広げる奔放なバカンスと破滅的な愛の顛末を描いた青春ドラマでした。兄弟役に石原裕次郎と津川雅彦、英子役に北原三枝を配し、10代の性と暴力を赤裸々に表現した内容は、公開当時大きな論争を巻き起こしました。

中平康は海やヨットハーバーなど開放的なロケーションを活かし、斬新なカメラワークとテンポの速い編集で青春の疾走感をスクリーンに焼き付けました。そのシャープで瑞々しい映像感覚は「スタイリッシュで鋭利だ」と評され、物語面では享楽的な若者文化(いわゆる太陽族)の実態を活写し、既成世代の偽善を衝く内容となって、戦後日本映画における青春映画のエポックとなりました。興行的にも成功を収め、主演の石原裕次郎はこの作品で一気にスターダムにのし上がりました。

フランス・ヌーヴェルヴァーグへの影響

フランス・ヌーヴェルヴァーグへの影響

『狂った果実』の革新的なスタイルは、国境を越えて映画人に強い印象を与えました。特筆すべきは、フランスの新進監督たちに与えた影響です。1958年にフランスで上映された『狂った果実』は、ヌーヴェルヴァーグの旗手たちから熱い賞賛を受けました。フランソワ・トリュフォーは自身の監督デビュー作『大人は判ってくれない』公開時に「中平の『狂った果実』から影響を受けた」と公言し、同じフランス・ヌーヴェルヴァーグのジャン=リュック・ゴダールも同調しています。

トリュフォーは「自分たち若手は熱に浮かされたようにマニアックなテンポで映画を作らねばならない」と『狂った果実』に触発されて語りました。このように、中平康のデビュー作は日本映画史のみならず、世界映画史における革新的作品の一つと見なすことができるのです。日本の青春映画がフランスの映画革命に刺激を与えたという事実は、映画史における国際交流の重要な一例として注目に値します。

国境を越えた映画制作の挑戦

国境を越えた映画制作の挑戦

中平康は早くから海外との共同制作にも積極的に取り組みました。1959年にはエジプトとの合作映画『アラブの嵐』を監督し、言葉の壁を乗り越えるため途中から通訳を外し、「喜怒哀楽は万国共通だから意思は通じる」と述べて現場を指揮したというエピソードも残っています。

1960年代後半、映画制作方針や内容をめぐって日活社長の堀久作と対立した中平は、1968年に日活を事実上解雇されるに至ります。当時の日本映画界には「五社協定」と呼ばれる紳士協定が存在し、一つの会社をトラブルで退社した監督は他社での起用を控える慣行がありました。新たな活動の場を求めて、中平は香港のショウ・ブラザーズの招きに応じ、拠点を海外に移します。

香港では自身の過去作『野郎に国境はない』『狂った果実』『猟人日記』をセルフリメイクしたほか、渡辺祐介が脚本を提供した『飛天女郎』(1969年)なども監督しました。これらの作品は日本人監督が国境を越えて活動した先例として意義があり、特に香港版『狂った果実』(現地タイトル:『狂恋詩』)や『猟人日記』(同:『猟人』)は、東アジアにおける映画人交流の草分けとも言える試みでした。

再評価が進む中平康と『狂った果実』の遺産

再評価が進む中平康と『狂った果実』の遺産

中平康の国際的な評価は、没後かなり時間が経ってから本格化します。1990年代末から2000年代初頭にかけて中平康の再評価ブームが起こり、2003年には第16回東京国際映画祭の提携企画として大規模な「中平康レトロスペクティヴ」が開催されました。この頃から、日本映画史における中平康の位置づけが見直され、「映画をデザインした先駆的監督」としてその革新性が再認識され始めました。

『狂った果実』は、海外でも再評価が進んでいます。21世紀に入り、欧米の映画研究者からも「Nakahira's Crazed Fruit opened a new era in post-war Japanese cinema(中平の『狂った果実』は戦後日本映画に新時代を開いた)」と評価されるようになりました。ハーバード・フィルムアーカイブが主催した「戦後日本映画の別のニューウェーブ」特集(2018年)でも中平作品がプログラムに組まれ、一般に知られる大島渚や鈴木清順だけでなく、中平康の貢献にも光が当てられています。

また2023年にはオーストラリアのメルボルンで開催された日本映画祭の特別企画「中平康レトロスペクティブ」では、中平は「戦後日本映画の浜辺に打ち寄せたニューウェーブ」と紹介され、その革新性が国際的に認められています。

『狂った果実』から始まった中平康の映画キャリアは、日本とフランス、そして香港と世界各地に影響を与え続けています。彼が切り開いた映像表現の新境地は、国境を越えて映画人の心を捉え、今なお新たな創造のインスピレーションとなっているのです。

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