フィルム・ノワールから冒険映画まで:ジョン・ヒューストンの代表作解説
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『マルタの鷹』:フィルム・ノワールの金字塔

ジョン・ヒューストンの記念すべき監督デビュー作『マルタの鷹』(1941年)は、フィルム・ノワールの古典的名作として映画史に燦然と輝いている。ダシール・ハメット原作のこの作品は、既に1930年代に2度映画化されていたが、ヒューストンは無駄のない脚本と的確な演出で完全に作品を甦らせた。私立探偵サム・スペード(ハンフリー・ボガート)が妖しい依頼人や犯罪者たちと絡み合い、伝説の財宝「マルタの鷹」を巡る欺瞞と欲望の物語が展開される。
本作の最大の魅力は、硬質で機関銃のように応酬されるハードボイルドな台詞回しにある。張り詰めた緊張感の中にも皮肉なユーモアが散りばめられた作風は観客を惹きつけ、ボガート演じるスペードは「タフでシニカルな探偵」のイメージを不動のものとした。ヨーロッパではナチスが台頭し米国も開戦間近という時勢の中で、腐敗や裏切りといったテーマを扱った本作は大きな反響を呼んだ。興行的にも成功を収め、ヒューストン自身も脚色部門でアカデミー賞候補となり、一躍新鋭監督として注目された。
『マルタの鷹』が後世に与えた影響は計り知れない。本作はフィルム・ノワールというジャンルを確立する上で決定的な役割を果たし、陰影に富んだ映像美と複雑な人間関係の描写は後続の犯罪映画の原型となった。ボガートのスペード像は探偵映画の理想型として語り継がれ、現代のハードボイルド作品にもその影響を見ることができる。ヒューストンの演出手腕が存分に発揮されたこの処女作は、「史上最高の映画監督デビュー作の一つ」と称される理由を十分に備えている。
『黄金』:人間の欲望と狂気を描いた傑作

戦後にヒューストンが手掛けた『黄金』(1948年)は、冒険ドラマの傑作として映画史に名を刻んでいる。メキシコの山中で黄金を求めるアメリカ人三人組の運命を描き、人間の欲望と狂気を赤裸々に表現した。主演のハンフリー・ボガートは偏執狂的に疑心暗鬼へ陥るフレッド・C・ドブズ役で、それまでのヒーロー然としたイメージを覆す演技に挑戦した。物語は過酷な環境下で徐々に露わになる人間の強欲と不信がテーマで、手に入れた砂金が結末で風に舞い散って失われるラストシーンは映画史に残る虚しさを印象づける。
特筆すべきは、ヒューストンが自身の父ウォルター・ヒューストンを老練な金掘りプロスペクター役に起用したことである。父子の協働が実現したこの配役は大きな話題となり、ウォルターの演技は批評家から絶賛された。劇中で見せた歓喜のダンスシーンは息子ジョンが説得して取り入れたものとして有名で、ウォルター・ヒューストンはアカデミー助演男優賞を受賞した。ジョン・ヒューストン自身も本作で監督賞と脚色賞を受賞し、作品もアカデミー作品賞にノミネートされるなど高い評価を受けた。
『黄金』は当初興行成績が伸び悩んだが、後年「時代を先取りしすぎた傑作」として再評価された。現在ではその時代を代表する名画の一つに数えられている。人間の欲望がもたらす破滅を冷徹に見つめたヒューストンの視点は、単なる冒険映画の枠を超えて普遍的なテーマを提示している。強欲がテーマの物語として映画史上の金字塔と位置付けられ、公開から年月を経ても「時代を超えた傑作」と広く認識されている。
『アフリカの女王』:ロマンスと冒険の完璧な融合

『アフリカの女王』(1951年)は、第一次大戦下の中央アフリカを舞台に、粗野なボート船長と女性宣教師という正反対の男女の冒険とロマンスを描いた作品である。監督のヒューストンは主演にボガートとキャサリン・ヘプバーンという意外な顔合わせを実現させ、二人の巧みな掛け合いと化学反応で作品を大いに盛り上げた。ジャングルの激流を小舟で下る撮影は当時としては画期的なロケーション主義で、実際にコンゴでの過酷なロケが敢行された。
撮影にまつわるエピソードも興味深い。ヒューストンは撮影中、しばしば狩猟に熱中して撮影を放り出したという逸話があり、その型破りな熱中ぶりは後年キャサリン・ヘプバーンが自伝で苦言を呈したほどだった。クリント・イーストウッドが映画『ホワイトハンター ブラックハート』でこのエピソードを再現したことからも、ヒューストンの豪快な人柄がうかがえる。こうしたトラブルをものともせず完成した本作は大ヒットを記録し、ボガートは皮肉屋だが人情味ある船長役でアカデミー主演男優賞を受賞した。
『アフリカの女王』の成功は、ヒューストンが娯楽性と人間ドラマを見事に両立させた証明でもある。冒険映画でありながら男女の心の機微を丁寧に描写し、観客に深い感動を与えた。ヒューストンはこの作品でアカデミー監督賞にノミネートされ、娯楽映画の金字塔と評価された。ボガートとヘプバーンの名演技、アフリカの雄大な自然、そしてヒューストンの確かな演出が三位一体となって生み出された本作は、現在でも多くの映画ファンに愛され続けている。
多彩なジャンルに挑んだその他の代表作群

ヒューストンの豊富なフィルモグラフィーには、上記以外にも数多くの代表作が存在する。1950年の『アスファルト・ジャングル』は暗黒街の一攫千金を夢見る強盗団を描いたフィルム・ノワールで、後世の犯罪映画に多大な影響を与えたケイパー映画の先駆けとなった。綿密に計画された犯行の全貌と、登場人物それぞれの人間ドラマが巧妙に絡み合い、群像劇の傑作として高く評価されている。後の『オーシャンズ11』などに連なる強盗映画の原点として、その影響力は現代まで続いている。
1975年の『王になろうとした男』は、ショーン・コネリーとマイケル・ケインを主演に迎えた大作で、ヒューストンの長年の夢だったという冒険ロマンを見事に映像化した。ラドヤード・キプリング原作のこの作品で、ヒューストンは高い評価を取り戻し、円熟した演出手腕を示した。晩年の『女と男の名誉』(1985年)ではマフィア社会に翻弄される男女の愛と葛藤をブラックユーモアたっぷりに描き、娘アンジェリカ・ヒューストンのオスカー受賞という形でヒューストン家三代の快挙を成し遂げた。
1956年の『白鯨』は暗いテーマゆえ当時は不評だったものの、後にスティーヴン・スピルバーグの『ジョーズ』公開を機に再評価された。執念に囚われた男の物語として映画史に刻まれ、その後の海洋映画にコンセプト的影響を与えている。このようにヒューストンの作品群は実に多彩であり、フィルム・ノワール、冒険活劇、戦争映画、伝記映画、コメディなどあらゆるジャンルに挑戦した。それぞれが異なる輝きを放ちながら映画史に刻まれており、ヒューストンの多才さと物語作家としての非凡な才能を物語っている。