
石井岳龍の代表作とその映画史的意義
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石井岳龍の代表作とその映画史的意義
自主映画から商業映画への飛躍 - 初期代表作の破壊的魅力
石井岳龍(いしい がくりゅう、旧名:石井聰亙)のフィルモグラフィを辿るとき、まず注目すべきは彼の学生時代に製作された『高校大パニック』(1976年)と『狂い咲きサンダーロード』(1980年)である。『高校大パニック』は福岡県立福岡高校にてオールロケで撮影された8mm自主映画であり、校内で高校生たちがバリケードを築き暴動を起こすという破天荒な内容だった。学生運動終焉後の世代による学園叛乱劇というテーマは当時の若者の鬱屈やエネルギーを代弁し、ぴあフィルムフェスティバル(PFF)で注目を浴びた。
続く『狂い咲きサンダーロード』は石井が大学在学中に自主制作し、のち東映が買い取って配給した伝説的カルト映画となった。近未来の東京を舞台に暴走族グループ同士の抗争を描いたこの作品は、日本映画史上「幻の名作」とも呼ばれ、長らく西側では見ることが難しかったが、近年リマスター版が海外でも発売され再評価が進んでいる。無政府的な暴走族世界の描写、荒涼としたコンクリート廃墟のロケーション、そして主演・山田辰夫の狂気の存在感が相まって、当時の若者文化を象徴する一作となった。
石井は本作で「映画学校で教わる方法ではなく、パンクミュージシャンが楽器を我流で操るように、自分独自のやり方で映画を撮った」とされ、結果としてこの無鉄砲な作風がのちの日本サイバーパンク映画の源流になった。海外の評論家からも「黒澤明以来の新しい才能」と絶賛され、日本のみならず世界のカルト映画ファンに衝撃を与えた意義深い作品である。
パンク映画の金字塔 - 『爆裂都市』と『逆噴射家族』
石井の商業デビュー作『爆裂都市 BURST CITY』(1982年)は、日本のパンク映画の象徴的作品として今なお語り継がれている。近未来の架空都市でパンクロッカーたちと暴走族、企業ヤクザ勢力が入り乱れて抗争を繰り広げるという内容で、物語性よりも映像と音の持つ勢いと雰囲気で観客を圧倒するアプローチが取られている。劇中では陣内孝則率いるバンド「バトルロッカーズ」や遠藤ミチロウ率いる「スターリン」など、実在のロックミュージシャンが本人さながらのキャラクターで多数出演しており、コンサート会場さながらのパフォーマンスとストーリー展開がシンクロする。
ハイライトでは工場地帯の野外ライブと暴走族の大乱闘が同時進行し、カメラが混沌の渦中を駆け巡る。こうした映画と音楽ライブの境界を溶かす演出は極めて斬新で、日本映画にパンク・スピリットを持ち込んだ偉業と評価される。公開当時は賛否両論だったものの、その後カルト的人気を博し、2020年代に至るまで劇場で復活上映や爆音上映イベントが繰り返し行われている。"映画による暴動"とも称される本作の文化的意義は、商業映画の枠内でアンダーグラウンド文化を炸裂させ、以後の映像作家たちに多大な影響を与えた点にある。
続く『逆噴射家族』(1984年)は一転して現代日本の典型的サラリーマン家庭が舞台となったブラックコメディ。父のマイホーム願望で郊外に引っ越した一家が、徐々にストレスと狂気で崩壊していく様を風刺的に描いている。石井はこの作品で、それまでの暴走族やパンクスではなく平凡な家族の日常に潜む狂気を炙り出し、新境地を開拓した。映画は日本国内より先に海外の映画祭で注目され、ベルリン国際映画祭での上映を契機にヨーロッパでもカルト的人気を博した。バブル経済に向かう当時の日本社会に潜む不安と狂騒を先取りし、コメディの皮を被った風刺劇で表現した点が評価される。
90年代の映像詩への転換 - 『エンジェル・ダスト』と『水の中の八月』
1990年代に入り、石井は映像スタイルを大きく変化させる。約10年ぶりの劇場映画となったサイコスリラー『エンジェル・ダスト』(1994年)は、東京の地下鉄で毎週月曜に女性ばかりを殺す連続殺人事件と、その捜査にあたる女性心理学者を軸に物語が展開する。それまでの石井作品で顕著だった目眩くカメラワークや派手な音楽は抑えられ、不穏な静けさと奇妙なイメージの反復によって観る者の神経を逆撫でするような演出が特徴的である。
色調も全体にセピアや緑がかったくすんだ色彩で統一され、終盤に向けて映像が次第に幻惑的かつ緊迫感を増していく。石井はこの作品で、ホラーとサスペンスの要素に心理分析や催眠といった知的テーマを織り交ぜ、従来のホラー映画とは一線を画す独特の世界観を構築した。国内ではカルト的支持に留まったが、海外では「CURE(黒沢清監督、1997年)の先駆けとなる90年代日本サイコスリラーの傑作」との評価もあり、石井の表現領域を広げた意欲作として位置づけられる。
続く『水の中の八月』(1995年)は福岡を舞台に、飛び込み競技の少女が体験する不思議な出来事を描いた青春ファンタジー。隕石接近により人々が石化する奇病が流行し、水不足に見舞われた町というSF的シチュエーションの中で、主人公の少女が不思議な運命に巻き込まれていく。物語自体はオカルトめいた謎を孕むが、石井の演出はむしろ詩情に満ちている。透明感ある水槽の深い青や空に浮かぶ白い雲の映像が非常に印象的で、少女が飛び込み台から宙を舞う無音のモンタージュなどは時間が止まったかのような瞑想的効果を生んでいる。
青春映画でありながら超自然的で哲学的な雰囲気をたたえた本作は、日本におけるセカイ系ファンタジー映画の先駆とも言われる。実際、日本国内の一部で熱狂的ファンを生み、「90年代日本映画の隠れた名作」としてカルト的支持を集めた。近年まで海外での正式リリースがなかったためレア作品扱いされてきたが、逆に言えば国内外の映画マニアにとって幻の傑作として神話化していた面もあり、映像の美しさや静謐なムードへの評価は今なお高い。
21世紀以降の挑戦 - 『ELECTRIC DRAGON 80000V』から『蜜のあわれ』へ
2000年代に入ると、石井は『ELECTRIC DRAGON 80000V』(2001年)という異色の55分モノクロ作品を発表する。雷に打たれて電流を操る能力を得た男(浅野忠信)と、同じ力を持つ狂気の男(永瀬正敏)が東京の屋上で激突するという、ほぼプロットらしいプロットのない映像詩的アクション映画である。全編に渡って轟音のインダストリアル・ノイズとギター音が鳴り響き、セリフは極端に少なく、代わりに映像のリズムと音楽のみで物語が進行する。
白黒のハイコントラスト映像、高速フラッシュ的な編集、フィルムノイズ混じりのざらついた質感など、石井が培ったパンク的美学が凝縮されており、加えて特撮的な電撃エフェクトやコミックブック風の演出も相まって、極めてスタイリッシュな作品に仕上がっている。上映時間55分という短さもあって「長尺のミュージックビデオ」とも称されたが、その爆発的な映像エネルギーは観る者を圧倒し、のちに海外でカルト的熱狂をもって迎えられた。この作品は石井が得意とする映像と音のシンクロによる恍惚体験を極限まで追求した実験映画であり、商業映画のフォーマットに捉われない自由な創作姿勢を示すものとして意義深い。
2010年には石井聰亙から石井岳龍へと改名し、新たなクリエイティブフェイズに入る。改名後の作品として注目されるのが『シャニダールの花』(2013年)と『蜜のあわれ』(2016年)である。『シャニダールの花』は選ばれた女性の胸からのみ寄生し咲く謎の花「シャニダール」の研究所を舞台にした幻想的な物語で、ジャンル的には一言で括れない混交ジャンル映画である。SF的設定と恋愛劇、そしてスリラー的緊張感や神話的モチーフが同時進行する点が独創的である。
『蜜のあわれ』は室生犀星の小説「蜜のあはれ」を映画化した作品で、金魚が少女に化身し老人作家と奇妙な同棲生活を送るという妖しく官能的な物語。石井は本作で昭和初期の文芸的世界に挑戦し、色彩豊かで舞台劇のような演出を導入した。映像面では赤を基調とした幻想的で耽美な画作りが目立ち、長回しの芝居をじっくり見せる演出は舞台劇を思わせる。本作の意義は、石井岳龍が自身のパンク的バックボーンを封印しつつも、その美意識をもって日本近代文学の幻想世界を映像化した点にある。結果として、老人のエロスや老いの哀愁といった普遍的テーマを幻想譚に託し、石井にしか作り得ない独自の文芸映画を成立させている。