
ジョン・マクティアナン:ハリウッド・アクション映画界を変えた男の軌跡
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低予算デビューから大作監督への華々しい出世
ジョン・マクティアナン(1951年生まれ)は、ニューヨーク州出身でジュリアード音楽院やAFIで学んだエリート出身の映画監督である。1986年の低予算スリラー『ノマッズ』でデビューを果たしたが、批評・興行両面で失敗に終わった。しかし、この作品で見せた緊張感ある演出力がアーノルド・シュワルツェネッガーの目に留まり、運命が大きく変わる。
1987年、シュワルツェネッガーの推薦により『プレデター』の監督に大抜擢された。製作費1500万ドルに対し全世界で1億ドル近くを稼ぐヒットとなり、マクティアナンの名は一躍業界に知れ渡った。ジャングルを舞台にした特殊部隊と異星人の死闘を描いたこの作品は、アクション・SF・ホラーの要素を巧みに融合させた傑作として評価されている。
続く1988年の『ダイ・ハード』では、ブルース・ウィリスを世界的スターに押し上げる歴史的成功を収めた。全世界で1億4千万ドル以上の興行収入を記録し、アクション映画の金字塔となった。この作品は従来の「筋骨隆々の無敵ヒーロー」像を覆し、等身大で傷つきやすい普通の男がヒーローとなる新しいパラダイムを確立した。
1990年の『レッド・オクトーバーを追え!』では、米ソ冷戦末期を舞台にした重厚なスリラーで批評・興行両面の成功を収めた。わずか数年の間に『プレデター』『ダイ・ハード』『レッド・オクトーバーを追え!』という3本の名作を立て続けに生み出し、マクティアナンはアクション映画界の巨匠としての地位を確立した。
1990年代の栄光と挫折の時代
1990年代に入ると、マクティアナンの作品は成功と失敗が交錯する複雑な時期を迎えた。1992年のショーン・コネリー主演『Medicine Man』は期待ほどの成功を収められず、1993年のシュワルツェネッガーとの再タッグ『ラスト・アクション・ヒーロー』は興行的に大失敗となった。
しかし1995年の『ダイ・ハード3』では見事に復活を果たした。ニューヨーク全土を舞台にしたスケールの大きなアクションが観客を魅了し、同年の世界興行収入第1位となる約3億6600万ドルのメガヒットを記録した。この成功により、マクティアナンの監督としての実力が改めて証明された。
1990年代後半には『13ウォーリアーズ』(1999年)が製作費過剰と編集難航で失敗作となった一方、同年の『トーマス・クラウン・アフェアー』はスタイリッシュな作風が評価されまずまずの成功を収めた。2002年のリメイク版『ローラーボール』と2003年の『ベーシック』は立て続けに批評・興行両面で失敗に終わった。
最終的にマクティアナンが監督した長編映画全11本のうち、後期の作品は苦戦を強いられることが多くなった。それでも彼の代表作群は、1980年代後半から90年代にかけてのハリウッド・アクション映画の黄金時代を象徴する作品として映画史に刻まれている。
法的トラブルと監督業からの離脱
2000年代に入ると、マクティアナンは映画制作以外の深刻な問題に直面することになった。『ローラーボール』の共同プロデューサーとの揉め事が発端となり、私立探偵アンソニー・ペリカーノを通じた違法な電話盗聴事件に巻き込まれた。FBIの捜査線上に浮上したマクティアナンは、当初「盗聴など知らない」と虚偽の証言をしてしまった。
この偽証が発覚し、2006年にFBIへの虚偽供述罪で有罪答弁を行った。2013年4月から約10か月間、サウスダコタ州の刑務所で実刑を受ける異例の事態となった。A級監督の収監は業界に衝撃を与え、マクティアナンのキャリアに決定的な打撃となった。
出所後は連邦倒産法第11章の適用を申請し、高額な訴訟費用や自宅牧場の差し押さえなど経済的困難にも見舞われた。2003年の『ベーシック』を最後に長編映画の監督から遠ざかり、事実上の引退状態が続いている。2017年にビデオゲームのテレビCMを監督したのが久々の映像作品となった。
この刑務所体験は、マクティアナンの社会観や作品観にも大きな影響を与えた。「刑務所暮らしを経験したことで色々な物の見方が変わった」と語り、アメリカの刑務所制度や社会の不平等に対する批判的な発言が増えている。かつて愛国的なヒーロー譚を描いていた監督の価値観の変化が窺える。
現在と未来への展望
近年のマクティアナンは、パリのシネマテーク・フランセーズでの特集上映や各国映画祭での功労賞受賞など、国際的な再評価を受けている。20年以上ぶりの劇場用映画となる新作企画にも意欲を示しており、映画界復帰への期待が高まっている。
現在のハリウッド大作について、マクティアナンは「企業の商品で人間が描かれていない」と批判的な立場を取っている。スーパーヒーロー映画の氾濫に対して否定的な見解を示し、自身が手掛けた80~90年代のアクション映画とは一線を画す姿勢を見せている。
私生活では、刑務所時代を支えてくれた旧友たちとの絆を大切にしている。シュワルツェネッガーやアレック・ボールドウィン、ブルース・ウィリスとの友情は現在も続いており、人間関係を重視する彼の人柄が窺える。特にウィリスが病気で引退した際には、心配するコメントを寄せている。
マクティアナンの代表作群は今なお色褪せることなく愛され続けている。『ダイ・ハード』は2017年にアメリカ国立フィルム登録簿に選定され、文化的・歴史的価値が公式に認められた。彼が築いたアクション映画の新しいスタイルは、現代の映画作家たちにも影響を与え続けており、映画史における不朽の足跡として評価されている。