黒木和雄:「青春の痛みとやさしさ──『竜馬を斬った男』『祭りの準備』に見る、もうひとつの黒木和雄」

黒木和雄:「青春の痛みとやさしさ──『竜馬を斬った男』『祭りの準備』に見る、もうひとつの黒木和雄」

戦争だけじゃない──黒木和雄が見つめた“若者の心”

「黒木和雄=戦争映画」というイメージを持っている人も多いかもしれません。晩年に手がけた“戦争レクイエム三部作”は確かに強く印象に残る作品群ですが、それ以前、彼は“青春”を描く名手でもありました。

『竜馬を斬った男』(1987年)、そして『祭りの準備』(1975年)。この2作は、時代やジャンルは違えど、どちらも“青春の傷”と“やさしさ”を根底に抱えています。

今回は、「もうひとつの黒木和雄」として、これらの作品が持つ魅力を紐解いていきます。

1. 『祭りの準備』──自意識と社会のはざまで

戦後の地方都市を舞台に、映画監督を目指す青年・航(江藤潤)の日常を描いた『祭りの準備』は、ある意味で黒木和雄自身の分身のような作品です。

航は映画を撮りたい。でも現実は貧しく、周囲の人々もそれを「夢物語」として冷ややかに見ている。そんな中での葛藤や、仲間との別れ、家族への想い──青春の甘酸っぱさではなく、“生きづらさ”がじんわりと描かれていきます。

黒木はここで、声を荒げずに、ただじっと若者の内側にカメラを向けます。夢を持ってしまったことが“罪”のように感じられる社会の中で、航が踏み出す小さな一歩は、誰にでもある“過去の痛み”を思い出させてくれます。

2. 『竜馬を斬った男』──歴史の裏にいる“無名の青春”

幕末の英雄・坂本龍馬を殺害したとされる男の“心の内”を描いた『竜馬を斬った男』。歴史の“表”ではなく、“裏”に光を当てたこの映画もまた、黒木監督らしい視点が光る作品です。

主人公の今井信郎(緒形拳)は、罪を負いながらも淡々と生きてきた元武士。過去の行動に迷いながらも、世の中に溶け込もうとする彼の姿は、ある意味で“青春の続きを生きている大人”のようにも見えます。

かつて信じていた「正義」が、本当に正しかったのか──彼の沈黙とまなざしが、その問いを観客に静かに投げかけてきます。

3. 黒木が描いた“痛み”は、どこか優しい

2作に共通するのは、「社会と向き合う個人」の孤独です。夢を持つ若者。正義を信じて行動した青年。時代の中で否応なく揺れ動く彼らは、自信にあふれているようで、実は不安と自己否定の連続です。

黒木和雄は、そんな彼らを裁かず、静かに見つめ続けます。だからこそ、観る側も「わかる」と言いたくなる。若者であった自分。迷い続けた自分。その“心の痛み”が、画面越しにそっと寄り添ってくるのです。

まとめ:青春とは、誰の中にもある“傷の記憶”

『祭りの準備』も『竜馬を斬った男』も、派手な展開はありません。けれど、その静かな物語の中には、確かに“生きることの重み”と“やさしさ”が込められています。

黒木和雄は、戦争という大きなテーマだけでなく、個人の感情や心の揺らぎにも深く目を向けた監督でした。青春はまっすぐじゃない。夢はかなわないかもしれない。それでも、人は誰かに見守られながら、生きていく。

そんなメッセージが、今を生きる私たちにも、そっと届くはずです。

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