
黒木和雄:「“戦争レクイエム三部作”とは何だったのか──記憶と共に生きる映画たち」
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黒木和雄が晩年に捧げた、“戦争と記憶”の三部作

黒木和雄監督は、2000年代初頭から亡くなるまでの数年間で、戦争をテーマとした3つの作品を世に送り出しました。
それが『TOMORROW 明日』(1988年)、『美しい夏キリシマ』(2003年)、『父と暮せば』(2004年)──いわゆる「戦争レクイエム三部作」です。
これらの作品は、激しい戦闘や爆撃の映像ではなく、戦争によって揺らいだ日常や、人間の心のひだを繊細に描き出します。派手ではない。でも、静かに、深く、私たちに「記憶とどう生きるか」を問いかけてくるのです。
1. 『TOMORROW 明日』──死を知らずに笑っていた日
原爆が投下される“前日”の長崎を描いた『TOMORROW 明日』。登場人物たちは、それが最後の日になるとは知らず、普通に仕事をし、恋をし、家族と過ごします。
観客は、彼らの“何気ない日常”を見つめながら、その背後に迫る悲劇を知っているがゆえに、胸が締めつけられるのです。
黒木監督は、原爆を直接描かず、“起こる前”を描くことで、逆にその衝撃をより強く焼き付けました。人の営みの中に潜む脆さと、無常の美しさを、静かに映し出した作品です。
2. 『美しい夏キリシマ』──戦争の影を知らずに見つめた夏

霧島連山のふもとに暮らす少年・康夫の目を通して、戦争の影を描いた『美しい夏キリシマ』。戦争はこの作品でも“遠く”にあり、爆撃や銃声は一切登場しません。
しかし、特高に連行された父の不在、学校での違和感、母の不安げな表情──それらが積み重なり、日常の中に確かに「戦争」が息づいていることを、観客に気づかせます。
黒木監督は、「記憶」とは誰かに押しつけられるものではなく、自らの感受性の中で育っていくものだと語っているかのようです。
3. 『父と暮せば』──亡き人と対話するための物語
井上ひさしの戯曲を原作に、原爆で父を亡くした娘と、その“幽霊”となって現れる父との対話を描いた『父と暮せば』。
この作品は、「戦争を生き残ってしまった者」の罪悪感とどう向き合うかという、とても難しいテーマを扱っています。
死者は責めない。ただ静かに寄り添い、言葉にならない哀しみを受け止めてくれる。そんな父の姿に、娘はようやく“生きていく”ことを許されていくのです。
戦争で亡くなった人を、どうやって心の中で生き続けさせるのか。『父と暮せば』は、まさにその問いへのひとつの“答え”として存在しています。
まとめ:静かなるレクイエム──「記憶の継承」としての映画
黒木和雄監督の「戦争レクイエム三部作」は、決して戦争を声高に糾弾する映画ではありません。どの作品も、死者を悼み、日常を見つめ、“静けさ”の中で問いかけてきます。
「あの戦争を、どう受け止めるのか」 「記憶とは、誰のものか」 「私たちは、なにを語り継ぐべきか」
それらの問いに対して、映画は一つの“まなざし”を差し出すだけです。答えは、観る人それぞれの中にある──。
この三部作を通じて、黒木監督は、「戦争を語り継ぐ」とは、何かを叫ぶことではなく、記憶の中で静かに“ともに生きていく”ことなのだと教えてくれました。
戦争を知る世代が少なくなっていく今だからこそ、この3本の映画が遺した“静かな声”に、耳を澄ませてみてはいかがでしょうか。