
若松孝二と映画の政治性: 映画は社会を変えられるのか?
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若松孝二とは? 映画を武器に闘った監督

映画は娯楽のためだけにあるのか? それとも社会を変える力を持つのか?
この問いに、まるで「闘うように映画を撮り続けた」監督がいます。若松孝二は、日本映画界において最も過激で、最も政治的な映画監督のひとりでした。彼の作品には、常に「反体制」「革命」「暴力」「抑圧」といったテーマが潜んでおり、当時の社会や政治に対する痛烈な批判が込められていました。
若松孝二は、「映画は反逆の武器だ」と言い切るほど、社会を変えるツールとしての映画の可能性を信じていました。本記事では、彼の映画が持つ政治性に注目し、「映画は本当に社会を変えることができるのか?」という問いを考えていきます。
1. 若松孝二の映画に潜む「政治性」

1960年代から1970年代にかけて、日本は政治的に大きな変革の時代を迎えていました。学生運動が活発化し、安保闘争や過激派組織の活動が社会問題となっていた時代に、若松監督は映画を通じて「革命」や「国家の暴力」を描きました。
彼の映画には、単なるエンターテイメントではなく、明確なメッセージが込められています。たとえば、『天使の恍惚』(1972年)では、革命にのめり込む若者の姿を描きつつ、その理想と現実のギャップを鋭く指摘しました。また、『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』(2007年)は、日本史上最も衝撃的な政治事件の一つを映画として再現し、観客に「革命とは何か?」を突きつけました。
これらの作品は、政治的なメッセージを伝えるだけでなく、「観客に考えさせる映画」としての役割を持っています。
2. 反体制としての映画の力
若松孝二は、映画を「反体制の武器」と考えていました。彼にとって、映画とは単なる商業的な娯楽ではなく、「現実の社会と向き合い、権力に対する疑問を投げかける手段」だったのです。
① 既存の価値観を破壊する映画
若松映画は、体制側の視点ではなく、社会の片隅にいる人々の視点から描かれています。たとえば、『犯された白衣』(1967年)では、戦争と女性の抑圧をテーマにし、『胎児が密猟する時』(1966年)では、社会の歪みが生む狂気を描きました。
これらの作品は、当時の日本社会ではタブー視されていたテーマを正面から扱い、観る者に衝撃を与えました。商業映画では描かれない現実をスクリーンに映し出すことで、若松監督は「映画には社会を揺るがす力がある」と証明したのです。
② 国家と対峙する映画作り
若松孝二は、実際に国家権力と対峙した経験も持っています。1960年代、彼はパレスチナ解放機構(PLO)と接触し、ドキュメンタリー映画『赤軍-PFLP 世界戦争宣言』(1971年)を制作しました。この作品は、日本の赤軍派とPLOの活動を記録し、国際的な革命運動の実態を映し出しました。
しかし、過激な内容ゆえに、日本国内ではほとんど上映されることなく、若松監督は政府やメディアからの圧力を受けることになります。それでも彼は、「映画を通じて、戦争や革命のリアルを伝えなければならない」と信じ、表現の自由を守るために戦い続けました。
3. 映画は社会を変えることができるのか?


「映画が社会を変えることはできるのか?」
これは、若松孝二が生涯をかけて追い続けた問いでした。彼の作品は、決して大ヒットするようなものではありませんでしたが、そのメッセージは確実に観客に届き、議論を巻き起こしました。
実際に、若松映画を観たことをきっかけに政治に興味を持った人も多く、また彼の映画は日本だけでなく、海外の映画祭でも高く評価されています。映画が直接的に社会を変えるわけではなくとも、「人々の意識を変える」ことは間違いなくできるのです。
4. 若松孝二の遺したもの
2012年、若松孝二は不慮の事故で亡くなりました。しかし、彼の映画は今もなお、多くの映画監督や観客に影響を与え続けています。
特に、現代の映画界でも「映画を通じて社会を問い直す」というアプローチをとる監督たちにとって、若松映画は重要な指針となっています。たとえば、園子温や三池崇史といった監督たちは、若松監督の影響を公言し、彼の精神を受け継いでいます。
また、近年では彼の作品がリバイバル上映され、若い世代の観客にもそのメッセージが伝わりつつあります。
まとめ: 若松孝二が問い続けた「映画の力」
若松孝二は、映画を通じて社会に挑み続けた監督でした。彼の作品は、過激でありながらも、ただの衝撃映像ではなく、「社会をどう変えるべきか?」という本質的な問いを投げかけていました。
彼の映画は、社会を直接的に変えたわけではないかもしれません。しかし、それを観た人々の心に火を灯し、新しい視点を与えたことは間違いありません。
もし、まだ彼の作品を観たことがない方がいれば、ぜひ一度手に取ってみてください。きっと、映画が持つ「本当の力」に気づくことができるはずです。