映画ビジネスの革命者ルーカス:メディアミックス戦略の確立と業界への影響

映画ビジネスの革命者ルーカス:メディアミックス戦略の確立と業界への影響

キャラクター商品化権とフランチャイズ戦略の先駆

ジョージ・ルーカスが映画ビジネスにもたらした最大の革新の一つは、キャラクター商品化権の重要性を早期に見抜き、それを戦略的に活用したことである。ルーカスは『スター・ウォーズ』第1作の制作時、監督・脚本の報酬を抑える代わりに関連商品のマーチャンダイズ権と続編製作の権利を自ら保持する契約を交わした。当時、映画のオモチャやノベライズといった商品展開は「二次的な副産物」とみなされており、多くの映画人が軽視していた分野である。しかしルーカスはその可能性に早くから着目し、自ら版権ビジネスを掌握したのである。

その結果、『スター・ウォーズ』公開後にはアクションフィギュア、レゴ、ポスター、ランチボックス、ビデオゲーム、コミック、小説版などあらゆる関連商品が空前の売上を記録し、ルーカスフィルムにも莫大な収益をもたらした。スター・ウォーズのマーチャンダイジング展開の成功により、映画本編だけでなく関連グッズやスピンオフまで含めて利益を上げるフランチャイズ戦略がハリウッドで確立された。メディアミックスという言葉自体は日本発祥だが、ルーカスはまさにそれを先取りする形で自らの物語世界をメディア横断的に拡充した。

ルーカスの友人でもあるメル・ブルックスの映画『スペースボール』では「映画で一番儲かるのはグッズ販売」とパロディで語られているが、それは裏を返せばルーカスが映画業界にもたらしたビジネス変革を如実に示すものである。彼の功績により、現在では映画公開前からキャラクターグッズや関連作品による総合的な収益化が計画されるのが当たり前となった。今日のマーベルやDCのシネマティック・ユニバース戦略、ディズニーのグローバルなフランチャイズビジネスの礎には、ルーカスが築いたモデルが色濃く息づいている。

ニューハリウッドからブロックバスター時代への転換

ルーカスが映画界に登場した1960年代後半から70年代前半のハリウッドは、ベトナム戦争や公民権運動による社会不安を反映して、旧来のハリウッドの勧善懲悪に反旗を翻すような反体制的で暗い結末の作品群、いわゆる「アメリカン・ニューシネマ」が席巻していた。『俺たちに明日はない』や『イージー★ライダー』に代表されるこれらの映画では、主人公は体制に反抗するアウトローであり、物語の結末は救いのない悲劇で終わることもしばしばだった。それは当時の若い映画作家たちが、古いハリウッドへの反発心と同時に、ベトナム戦争の泥沼化や国内の政治的不信感という時代の空気を作品に投影していたからである。

そんな中で1977年に登場した『スター・ウォーズ』は、そうしたニューシネマ的潮流を一変させる転換点となった。ルーカスと同世代のスピルバーグが『ジョーズ』で大衆娯楽映画の快進撃を始めていたが、ルーカスの『スター・ウォーズ』はさらに明快な勧善懲悪と爽快な冒険活劇を打ち出し、鬱屈した時代に光をもたらすエンターテインメントの復活を印象づけた。これは映画史的に見ても、ニューシネマ隆盛からブロックバスター映画時代の幕開けへの大きな転換点とされている。

実際、『スター・ウォーズ』の大ヒットによりハリウッド各社は同種の大作娯楽映画の企画に注力し始め、映画ビジネスの方向性が劇的に変化した。ある批評家は「ルーカスとスピルバーグの登場によって、1970年代的な批評精神に富んだ小規模作品は終焉を迎え、代わりにスペクタクル重視の超大作路線へハリウッドは傾斜した」と評している。このようにルーカスの登場そのものが映画産業の潮流を変える社会的インパクトを持っていた。現在のハリウッドにおけるブロックバスター中心の映画制作システムの源流は、ルーカスの『スター・ウォーズ』にあると言える。

俳優発掘と演出スタイルの特徴

ルーカスは映画監督として、俳優への演技指導に関しては独特のスタンスを持っていた。彼は自他ともに認めるように「役者を現場で指導するのはあまり得意ではない」とされ、現場では俳優に細かい演技指示を出すよりも、キャスティングと編集によって演技を引き出すタイプの監督だった。ルーカスは『アメリカン・グラフィティ』や『スター・ウォーズ』の撮影に際し、主役級に当時無名だった若手を起用しながらも、彼ら自身の持ち味を最大限に活かすことを狙った。マーク・ハミル、キャリー・フィッシャー、ハリソン・フォードといった配役は、俳優本人のキャラクターに近い当て書きのような形で行われた。

これはルーカスの盟友コッポラから「有名俳優を起用すべきだ」と反対されるほど大胆な挑戦だったが、結果的に役柄と俳優の個性のシンクロによって生まれた3人の化学反応は、作品に大きな魅力を与えることになった。ルーカスはこの自然発生的な俳優同士の化学反応をカメラに収めるため、複数台のカメラで同時に演技を記録し、後の編集作業でベストな瞬間を繋ぐという「ドキュメンタリーのような」手法を好んで用いた。実際、『アメリカン・グラフィティ』や『スター・ウォーズ』の撮影現場では俳優に即興を許し、長回しで演技させつつ、ルーカス自身は「編集室で演出する」との信念を語っていた。

こうした姿勢から、ルーカスは現場で俳優に指示を出す際、しばしば非常に簡潔な言葉しか使わないことで知られていた。伝説的なのは「もっと速く、そして強く」という一言で、これは『スター・ウォーズ』撮影時にルーカスが俳優によく掛けていた檄として有名である。ハリソン・フォードは当時の経験を振り返り「ジョージの書くセリフは活字ならともかく口に出すのは難しいんだ」と苦言を呈した逸話も有名だが、一方でフォードは「ジョージは優れたストーリーテラーであり、彼の生み出す世界に参加できるのは光栄だった」と述べており、現在でも友情を公言している。ルーカスの演出スタイルは俳優の自主性に委ねる部分が大きいため、俳優本人の力量により成果が分かれる面もあったが、総じて多くの新人俳優に大役のチャンスを与えスターへと押し上げた点で映画史に残る存在である。

映画史的評価と永続的な文化的影響

ジョージ・ルーカスの映画史への評価と影響は計り知れないものがある。まずポピュラー文化への浸透という点で、彼ほど広範囲に名を知られた映画人は稀である。『スター・ウォーズ』シリーズは世界中で愛され、その物語が映画の枠を超え、現代神話として文化そのものに組み込まれている。実際、スター・ウォーズの名場面や音楽、セリフは数え切れないほど他の映画やテレビ番組、漫画などでパロディやオマージュの対象となってきた。その影響は世代と国境を超えて広がり続けており、まさにポップカルチャーの共通言語となっている。

ルーカス個人も映画芸術科学アカデミーからアーヴィング・G・タルバーグ賞を受けるなど、映画製作者として高い評価を受けている。アメリカ映画協会は「ルーカスは現代映画に革新的進歩をもたらした」として2005年に生涯功労賞を授与し、その映像技術への貢献と創造性を称えた。加えて2006年にはSFの殿堂、2013年には米国芸術勲章、そして2024年にはカンヌ国際映画祭で名誉パルム・ドールを授与されるなど、その業績は各方面から正式に顕彰されている。

もっとも、映画史的な評価においてルーカスには賛否両論あるのも事実である。1970年代的な批評精神の映画文化をブロックバスター偏重に傾けた張本人として、幾人かの批評家からは批判も受けた。しかしながら、そうした批評家の嘆きをよそに、観客たちはルーカスの生み出した映画で夢を見ることの素晴らしさを知った。彼の作品群は世界中の若者にインスピレーションを与え、多くの映画監督やクリエイター志望者が「スター・ウォーズを観て映画制作を志した」と語っている。総じて言えば、ジョージ・ルーカスは20世紀末から21世紀にかけての映画とその周辺文化を語る上で欠くことのできない巨人である。映画監督として生み出した作品、プロデューサー・事業家として築いた仕組み、そのすべてがポップカルチャーの歴史に大きな爪痕を残した。ルーカスはそのキャリアを通じて「映画の可能性」を拡張し、人々に夢と想像力を与え続けた稀有な映像作家として、未来の映画史にも輝き続けるに違いない。

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