
赤狩りとロバート・ロッセン:信念と妥協の狭間で
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赤狩りとロバート・ロッセン:信念と妥協の狭間で
理想主義者の政治的覚醒と共産党への傾倒

ロバート・ロッセンは1930年代から一時期アメリカ共産党の党員として活動していました。貧困家庭に生まれ、若き日にプロボクサーとして生計を立てた経験を持つ彼にとって、社会の不平等や労働者階級の苦境は身近な現実でした。ニューヨーク大学で学び、ブロードウェイで劇作家として活動を始めた頃、彼は理想主義的な政治意識に目覚め、より公正な社会の実現を夢見て共産党に入党します。当時のアメリカでは大恐慌の影響もあり、多くの知識人や芸術家が社会主義的な理想に共感を寄せていた時代背景がありました。
ロッセンの初期の脚本作品には、この政治意識が色濃く反映されています。1937年の『札つき女』でデビューした後、南部リンチ事件を題材にした『彼等は忘れない』、労働者階級の視点から描いたギャング映画『彼奴は顔役だ!』など、社会問題や権力批判を織り込んだ作品を次々と手がけました。彼の脚本は「産業社会の周縁にいる人々の沈黙の叫びを代弁している」と評され、社会的弱者へのまなざしが感じられるものでした。戦時中も反ファシズムの立場から『暴力に挑む男』などの作品を執筆し、政治的信念と創作活動を結びつけていました。
栄光の絶頂での暗転:ブラックリストへの道

1947年、ロッセンは自身のボクサー経験を活かした『ボディ・アンド・ソウル』で監督業に進出し、続く『オール・ザ・キングスメン』で頂点を極めます。政治権力の腐敗を描いたこの作品は興行・批評両面で大成功を収め、第22回アカデミー賞で作品賞を含む主要部門を獲得しました。しかし、授賞式直前に彼の過去の共産党員歴が下院非米活動委員会(HUAC)によって暴露され、栄光の瞬間に暗い影が差し始めます。当初1947年に召喚状を受けたものの公聴会が延期となり難を逃れていましたが、1951年に改めてHUACで証言を求められることになりました。
証言台に立ったロッセンは「現在は党員ではない」と弁明しつつも、ハリウッドの同僚たちの名前を挙げることは断固拒否しました。この毅然とした態度は、仲間を売らないという信念に基づくものでしたが、その結果、彼は公式にブラックリストに載せられ、映画界での活動を停止せざるを得なくなります。アカデミー賞受賞監督として名声を博していた彼が、一転して職を失い干されるという過酷な状況に追い込まれたのです。ハリウッドという夢の工場から追放され、創作の場を奪われた屈辱と苦悩は計り知れないものでした。
苦渋の決断:証言と裏切りの烙印

約2年にわたる沈黙の期間、ロッセンは究極の選択に苛まれ続けました。信念を貫いて沈黙を守り続けるか、映画人として生き残るために証言するか。家族を養う責任、創作への渇望、そして自らの良心との間で引き裂かれた彼は、1953年についに苦渋の決断を下します。委員会に手紙を書いて証言の意志を伝え、公聴会で50人以上にも及ぶ元共産党員の同僚たちの名を次々と明かしたのです。この「転向」により映画界への復帰は許されましたが、彼が語った名前によって追放された人々にとってロッセンは裏切り者となりました。
証言の背景には、ソ連による暴力的な独裁を支持する共産党に対する批判の意思もあり、既に公表されていた名簿を提供することは映画制作を続けるための苦い妥協だったと後に分析されています。しかし、どのような理由があろうとも、仲間の名前を売ったという事実は消えることがありません。ロッセンはハリウッドに居場所を失い、証言後はニューヨークや海外で細々と映画制作を続ける道を選びます。この自己追放にも近い形でキャリアを再開した彼の心には、「自分の行った証言は正しかったのか」という葛藤が死ぬまで続いたとされています。
作品に刻まれた贖罪と再生のテーマ

赤狩りによる迫害と妥協は、ロッセン本人のみならず彼の作品世界にも深い影を落としました。復帰後に手がけた作品には、勇気や信念の喪失、妥協と裏切りといったテーマが色濃く反映されています。大作『アレキサンダー大王』や西部劇『コルドラへの道』では理想と現実の折り合いに悩む人物像が描かれ、晩年の『ハスラー』や『リリス』では魂の苦悩や贖罪のようなモチーフが見て取れます。特に『ハスラー』の物語は、野心のために魂を売り渡したエディという主人公が最終的に自らの誇りを取り戻すまでを描いており、共産党員だった自分が仲間を売った過去と重ね合わせた半自伝的要素を指摘する声もあります。
1961年に発表された『ハスラー』は、ブラックリストから解放されたロッセンの見事な復活作となりました。ポール・ニューマンを主演に据えたこの作品は、賭けビリヤードの世界を舞台に人間のエゴと再生を描き、アカデミー賞で作品賞・監督賞など8部門にノミネートされる成功を収めます。しかし、その成功の陰には、赤狩りで味わった苦い経験が深く刻まれていました。映画評論家たちは、ロッセンが自身の体験を作品に昇華させることで、より深い人間理解と悲劇性を獲得したと評価しています。赤狩りとの関わりは彼に消えない傷を残しましたが、同時にその苦悩が創作の源泉となり、普遍的なテーマを持つ傑作を生み出す原動力にもなったのです。