音響と音楽の魔術師:ヒッチコックのサスペンス演出術

音響と音楽の魔術師:ヒッチコックのサスペンス演出術

効果音による心理的緊張の創出

ヒッチコックは音の静寂と突然の騒音を対比させることで緊張感を高める手法を確立しました。『サボタージュ』(1936年)では、観客だけが時限爆弾の存在を知っている中、少年がそれを運ぶシーンで街頭の時計の音を何度も響かせ時間切れの接近を聞かせる一方、少年が寄り道したりバスが信号で停まったりする静かな日常音を挟み込み、焦燥感を演出しました。

この手法の真骨頂は、音そのものがサスペンスを生むトリガーとなることです。『知りすぎていた男』(1956年)では、アルバートホールでの暗殺シーンに向け、シンバルが鳴る瞬間に発砲するという計画を犯人側が立てており、序盤から劇中でそのシンバル音のレコードを繰り返し流すことで観客にその音を刷り込んでいます。

クライマックスのコンサート場面では、曲が進行してシンバルが近づくにつれ観客の心拍も高まり、音楽のクレッシェンドと共にサスペンスも最高潮に達しました。劇中の音(音楽含む)をプロットに組み込むことで、音自体がサスペンスを生むトリガーとなる革新的な演出でした。

『ブラックメール』(1929年)では音響映画初期において「ナイフ」という言葉だけが強調して聞こえる演出で登場人物の心理不安を表現し、音響技術の可能性を早くから探求していました。これらの技法は現代の映画においても基本的な音響演出として受け継がれています。

バーナード・ハーマンとの黄金コンビ

作曲家バーナード・ハーマンとの協働はヒッチコック映画史上最も重要な要素の一つです。二人のコラボレーションは『間違えられた男』(1956年)、『めまい』(1958年)、『北北西に進路を取れ』(1959年)、『サイコ』(1960年)など7作品に及び、映画音楽史に残る名作を数多く生み出しました。

ヒッチコックは完璧主義者でありながら音楽に関してはハーマンに大きな裁量を与えており、映画のサブテキスト(潜在的テーマ)まで理解したハーマンの音楽が映像と融合することを信頼していました。その成果は『めまい』の哀切な愛のテーマや、『北北西に進路を取れ』の躍動感あふれる序曲などに結実しています。

特に『サイコ』では、低予算ゆえオーケストラを絞り弦楽器だけで編成した「黒白のスコア」を作り上げました。ヒッチコック自身は当初シャワー殺人シーンに音楽を入れないつもりでしたが、ハーマンの提案したあの有名な不安を煽る弦のスクリーチ音を聞いて考えを改めたという逸話もあります。

結果として音楽が映像の恐怖を何倍にも増幅し、観客の神経を逆撫でする効果を発揮しました。ヒッチコック映画における音楽は、旋律の美しさよりも音色・リズムによる心理効果を重視しており、観客に緊張や不安を直接訴えかける役割を果たしています。

音楽を排除した革新的実験

一方で音楽をあえて排除する大胆な試みもありました。その典型が『鳥』で、ハーマンが音楽監修に名を連ねつつ劇伴音楽を一切作らず、電子音響による鳥の鳴き声だけで全編押し通しました。これにより現実味が逆に高まり、不協和な電子音が耳に残る不気味さが観客の想像力を刺激します。

『鳥』では従来のオーケストラ音楽の代わりに、学校の外でヒロインが待っているシーンのような緊張感ある場面で、鳥の羽音や鳴き声など効果音のみでサスペンスを生み出しました。ヒロインの背後の遊具にカラスが一羽、また一羽と静かに集まってくる様子を観客にだけ見せ、振り返ったときには無数の鳥が群れているという恐怖を音響効果だけで演出したのです。

静寂と激しい攻撃音のコントラストで恐怖を煽る手法も革新的でした。鳥が一斉に襲いかかるパニック描写では、突然の静寂と激しい攻撃音のコントラストで恐怖を煽り、観客の想像力に委ねる部分を多く残しました。

このように音楽を鳴らす・止めるのタイミングまで計算されたヒッチコックの演出は、音響面でも観客の不安と安心を巧みに操りました。音楽の不在そのものが一つの表現手段となることを証明した画期的な試みでした。

音響設計による感情操作の完成形

『生れてきたブロンド』(1950年)や『ロープ』のように劇中で蓄音機やピアノの曲が流れる場面では、それを効果的に取り入れてサスペンスを盛り上げることもしました。『裏窓』では隣室の作曲家が奏でるピアノ曲が繰り返し流れ、物語の節目でその曲調が変化することで登場人物の心理や時間経過を示す役割を担っています。

ヒッチコックとハーマンの名コンビは『引き裂かれたカーテン』(1966年)で方向性の違いから突然終止符が打たれました。この作品でヒッチコックはより現代的で明るい音楽を求めハーマンの書いたスコアを却下したためです。その後の作品には別の作曲家の手による音楽となりましたが、古典的なハーマン音楽のようなインパクトは薄れました。

晩年の『フレンジー』(1972年)では音楽よりもセリフの妙や効果音のリアルさによってサスペンスを補強しています。犯行シーンを扉の外の静寂で表現する演出を行い、観客の聴覚的想像力を喚起しました。殺人現場からカメラが遠ざかる長回しと共に、音響効果だけで恐怖を表現する技法を完成させたのです。

総じてヒッチコックは「音のある映画」の持つ力を早くから理解し、その音響設計をもって観客の感情を思いのままに操作する術を確立しました。音楽と効果音、そして静寂の巧みな使い分けによって、映像だけでは表現できない心理的な恐怖と緊張感を創出したのです。現代の映画音響技術の基礎となる考え方が、既に彼の作品に完成された形で示されています。

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