戦後日本映画の異才・中平康 —— モダンなビジュアルスタイルで映画史を変えた監督

戦後日本映画の異才・中平康 —— モダンなビジュアルスタイルで映画史を変えた監督

斬新な映像感覚で日本映画に新風を

斬新な映像感覚で日本映画に新風を

1950年代半ば、保守的だった日本映画界に新たな風を吹き込んだのが中平康(1926-1978)でした。日活の助監督から頭角を現した彼は、1956年の『狂った果実』で鮮烈なデビューを飾ります。石原慎太郎の原作を映画化したこの作品で、中平はそれまでの日本映画にはなかったスピーディーなテンポと洗練された映像センスを披露し、戦後社会に台頭した「太陽族」と呼ばれる若者たちの奔放な生態をリアルに描き出しました。

中平康の最大の特徴は、何よりもそのビジュアル重視の姿勢です。彼は「テクニックの人」と呼ばれるほど映像表現に情熱を注ぎ、「映画は原作やテーマではなく、素材をどう映像化したかで評価すべきだ」と主張していました。深焦点(パンフォーカス)撮影やワイド画面を活かした構図、テンポの良いカッティングなど、当時最先端の技法を駆使した彼の作品は、同時代の映画評論家からは「技巧に偏りすぎ」と批判されることもありましたが、その革新的な映像感覚は後年「20年早すぎた映画監督」と再評価されることになります。

多彩なジャンルを横断した職人監督

多彩なジャンルを横断した職人監督

中平康はジャンルの枠を超えて活躍した監督でもありました。日活時代にはコメディ、メロドラマ、アクション、スリラー、青春ものと実に多彩なジャンルに取り組み、それぞれに新味ある演出を施しています。例えば『牛乳屋フランキー』(1956年)や『街燈』(1957年)のような軽妙なコメディでは洗練されたテンポの演出を見せ、『殺したのは誰だ』(1957年)や『その壁を砕け』(1959年)といったサスペンスでは硬質なスタイルを発揮しました。

特に注目すべきは1964年に発表した一連の作品群です。加賀まりこをヒロインに据えた異色作『月曜日のユカ』をはじめ、倒錯的な性描写を含むスリラー『猟人日記』、前衛的な心理ドラマ『砂の上の植物群』、社会派メロドラマ『おんなの渦と淵と流れ』など、中平は従来の商業映画の枠を大きく超える作品を次々と発表し、その独自の映像美学を確立していきました。

国際的な影響と評価の変遷

国際的な影響と評価の変遷

中平康の映像表現は日本国内にとどまらず、海外にも影響を与えました。特にフランスでは、ヌーヴェルヴァーグの旗手たちが『狂った果実』から強い刺激を受けたとされています。フランソワ・トリュフォーは自身のデビュー作公開時に「中平の『狂った果実』から影響を受けた」と公言し、ジャン=リュック・ゴダールも同調しました。この点で中平は、日本映画が欧州の映画運動に影響を及ぼした希少な例と言えるでしょう。

1967年以降、中平は香港のショウ・ブラザーズとも提携し、『野郎に国境はない』『狂った果実』『猟人日記』のセルフリメイク版を製作。東アジアにおける映画人交流の先駆けとなりました。また1971年には『闇の中の魑魅魍魎』がカンヌ国際映画祭のコンペティション部門に選出されるなど、国際的な舞台でも評価されています。

しかし当時の日本国内では、商業主義の職人監督とみなされた中平の評価は必ずしも高くありませんでした。同世代の大島渚や今村昌平らと比較され、批評界からは距離を置かれることも多かったのです。彼の真価が認められるようになったのは没後かなり時間が経った後のことで、1990年代末から2000年代初頭にかけて「中平康再評価ブーム」が起こりました。2003年の東京国際映画祭での大規模レトロスペクティブ上映を機に、中平は「映画をデザインした先駆的監督」として再認識され、現在では日本映画史におけるモダニズムの先駆者として確固たる地位を占めています。

遺した映像表現の革新性

遺した映像表現の革新性

中平康の映像スタイルの本質は「形式の解放」にあります。伝統的な日本映画の語り口や様式を打破し、欧米映画のエッセンスも貪欲に取り入れながら、戦後社会の空気をフィルムに焼き付けようとする試みでした。若者文化や性の表現において、それまでの日本映画が暗黙のうちに避けてきた領域に踏み込み、当時の社会通念を揺るがす大胆さがあったと評されています。

中平は1978年、52歳という若さで胃癌のため亡くなりましたが、彼が残した40本以上の作品群は、新旧世代の葛藤や時代の空気を映し出す鏡であると同時に、映画というメディアの可能性を大胆に拡張した宝庫でもあります。その遺産は今なお新しい視聴者を魅了し、国内外の創作者に刺激を与え続けているのです。

戦後日本映画の「モダン派」として、スピーディーなテンポと洗練された映像センスで新風を吹き込んだ中平康。彼が切り開いた映像表現の新境地は、現代のわたしたちにも新鮮な驚きと感動を与えてくれることでしょう。

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