
武満徹の代表映画音楽作品群 - 『砂の女』から『乱』まで
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映画音楽家としての出発点
武満徹の映画音楽家としての歩みは、1956年の中平康監督『狂った果実』から本格的に始まった。この作品は石原慎太郎の小説をもとに戦後世代の退廃を描いた日活の青春映画であり、日本における「ヌーヴェルヴァーグ」の嚆矢とされている。武満は師である早坂文雄の薫陶も受け、同世代の佐藤勝と共にジャズやエレキギターを取り入れた斬新なスコアを提供した。この映画の成功により、武満は映画音楽の世界での地位を確立していく。
1960年代は武満の映画音楽家としての飛躍期だった。小林正樹監督の『切腹』(1962年)や『怪談』(1964年)、勅使河原宏監督と安部公房が組んだ『おとし穴』(1962年)、『砂の女』(1964年)、篠田正浩監督の『他人の顔』(1966年)など、戦後日本を代表する芸術性の高い映画に次々と参加した。こうした作品群で武満は音楽監督的な立場も担い、音だけでなく全体の音響設計にも深く関与している。
この時期の武満の作品は、従来の映画音楽の概念を覆すものだった。彼は脚本の段階から作品世界に関与し、監督や脚本家と緊密に意見交換を行い、映像と一体化した音響空間を創造した。実験工房での経験を活かした電子音楽やミュージック・コンクレートの手法を映画にも応用し、日本映画に現代音楽のエッセンスを持ち込んだのである。
国際的評価を決定づけた傑作群
武満映画音楽の名声を決定づけたのは、1964年の『砂の女』である。勅使河原宏監督による砂丘の穴に囚われた男女を描くこの異色ドラマで、武満は不協和音の弦楽と環境音を融合した音響を作り上げた。例えば、風が砂を吹き飛ばすシーンでは、実際の風の音と低音の弦楽器のうなりを重ねることで映像の質感を倍加させている。音楽は全編にわたってミニマルかつ断片的で、旋律らしい旋律はほとんど登場しない。
その代わりに沈黙と異音が支配する音響空間が観客の不安を煽り、砂に沈むような息苦しさを感じさせる。武満は本作のために録音した素材を元にコンサート用作品『ドリアン・ホライゾン』(1966年)も作曲しており、映画音楽のアイデアを逆に純音楽へ発展させる試みも行った。『砂の女』の音楽は映画の国際的成功とともに高い評価を受け、「音と映像の幸福な結婚」と評されている。
同年の『怪談』では、小泉八雲の怪奇譚を映像美豊かに描いたオムニバス映画で、武満は全4編の音響設計を一手に引き受けた。特に著名な「耳無芳一の話」では、琵琶法師の怪談語りにあわせて琵琶の生演奏と電子的エコー効果を駆使し、幽玄かつ不気味な音世界を創出している。雨音や木の軋む音などの現実音を録音して楽器音と重ね合わせる手法や、声そのものを音素材とする試みを行い、生身の人間がいないシーンでも音だけで強烈な存在感を放つことに成功した。『怪談』はカンヌ国際映画祭で審査員特別賞に輝き、武満の音楽も「映像に寄り添いながら独立した芸術性を持つ」と高評価を得た。
社会派・文芸作品での音楽的探求
1970年代に入ると、武満は大島渚監督『儀式』(1971年)や篠田正浩監督『沈黙』(1971年)など社会派・文芸作品の音楽を担当し、引き続き日本映画の第一線で活躍した。黒澤明監督とも初めて組み、異色の市井劇『どですかでん』(1970年)で音楽を提供している。これらの作品では、より内省的で心理的な音楽表現が追求され、武満の音楽語法はさらに洗練されていく。
『沈黙』では、遠藤周作の原作をもとにキリシタン弾圧を描いた重厚な作品に、武満は抑制された音響で応答した。宗教的な題材に対し、彼は西洋のキリスト教音楽と日本の伝統音楽を対比させる手法を用い、文化的衝突を音楽で表現している。また『儀式』では、戦後日本の家族制度の変容をテーマにした大島渚の野心的な作品に、武満は現代音楽的な不協和音と伝統的な和楽器を組み合わせた複雑なスコアを提供した。
この時期の武満の音楽は、単なる効果音楽を超えて、映画のテーマ性と深く結びついた哲学的な響きを持つようになった。彼の音楽はしばしば自然や沈黙、喪失感といったモチーフと結びつき、疎外と孤独をテーマにした『砂の女』では、乾いた打楽器音やかすかな電子音を用いて登場人物の孤独感を際立たせ、武士道の虚無を描いた『切腹』では、調子はずれの琵琶やピアノの不協和音で武士階級の崩壊を暗示した。武満自身、「映画音楽は監督が感じていることを延長し、観客に見えぬ心情を伝えるもの」と述べており、その言葉通り映像に隠れたドラマや心理を音で表現することを得意としていた。
晩年の大作『乱』と映画音楽の集大成
武満映画音楽の集大成といえるのが、1985年の黒澤明監督『乱』である。シェイクスピアの「リア王」を題材にした黒澤明晩年の大作であり、武満にとっても最大規模の映画音楽プロジェクトだった。黒澤は当初、能楽の謡(うたい)を用いる構想を持っていたが、最終的にはグスタフ・マーラーの交響曲を思わせる重厚なオーケストラ音楽を武満に求めた。この要請に戸惑いつつも、武満は壮大なスコアを書き上げる。
音楽は前半では抑制的に使われ、クライマックスの合戦シーンで初めて全面に押し出される構成となっている。無音の殺戮シーンに流れる哀しい旋律と不協和な和音の交錯は極めて印象的で、観客に強烈な感情体験を与えた。黒澤の指示した「マーラー風」の要求に対し、武満の音楽は「マーラーでありマーラーでない」と評されている。広大な音響空間と厳粛な悲劇性はマーラー的だが、和声や展開は武満独自の現代性が貫かれており、徹底的に映像に同化した音楽となっている。
『乱』のスコアはロサンゼルス映画批評家協会賞の最優秀音楽賞に輝き、世界的にも「映画音楽史上に残る名スコア」として高い評価を受けた。晩年の武満は今村昌平監督の『黒い雨』(1989年)でも、自身の過去の作品「弦楽のためのレクイエム」を引用・発展させ、広島原爆の悲劇を音楽で表現している。原爆後の死と再生を扱うこの作品では、自作「レクイエム」を基にした哀切な旋律を繰り返し用いることで、鎮魂と希望の二面性を音楽に込めた。武満徹は1996年に65歳で逝去したが、生涯で手掛けた映画音楽は90本以上にのぼり、その独創的なサウンドデザインで国内外の映画史に名を刻んでいる。その作品群は現在も映画音楽の教科書的存在として、多くの作曲家に影響を与え続けているのである。