
『連合赤軍 あさま山荘への道程』と『実録・連合赤軍』: 若松孝二が描いた革命のリアル
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若松孝二と「革命映画」: その衝撃的な挑戦

若松孝二は、日本映画界の異端児として知られる監督ですが、その中でも特に衝撃的な作品群として挙げられるのが、連合赤軍を題材にした映画です。彼は単なるフィクションではなく、実際の事件を映画に落とし込み、革命運動のリアルを描くことにこだわりました。
2007年に公開された『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』は、1972年に起きた「あさま山荘事件」と、その背後にある過激派組織・連合赤軍の内部抗争を描いた作品です。1970年代、日本で実際に起こった左翼過激派の闘争を正面から扱い、観る者に強烈な衝撃を与えました。
若松監督がなぜこのテーマに挑んだのか? そして、彼が描きたかった「革命」とは何だったのか? 本記事では、『実録・連合赤軍』を中心に、若松孝二が追求した革命映画の真髄を探ります。
1. 『実録・連合赤軍』とは?

『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』は、1960年代後半から1970年代初頭にかけて日本で活動した過激派グループ・連合赤軍の実態を描いた映画です。特に、メンバー同士の粛清(内部粛清)や、最終的に起こった「あさま山荘事件」に焦点を当てています。
映画の前半では、学生運動から派生した左翼過激派たちが、どのようにして武力闘争へと傾倒していったのかが描かれます。彼らは資本主義社会への反発を掲げ、革命を実現するために組織を作ります。しかし、次第に内部での思想の違いが表面化し、粛清の嵐が吹き荒れるようになります。
後半では、警察に追い詰められた連合赤軍が、長野県のあさま山荘に立てこもるシーンが描かれます。これが「連合赤軍事件」のクライマックスであり、日本中を震撼させた「あさま山荘事件」の再現として圧倒的な緊迫感を持って観客に突きつけられます。
2. 若松孝二が描いた「革命」のリアル
若松孝二監督は、『実録・連合赤軍』において、革命運動の悲劇を単なる「過去の事件」として描くのではなく、現代にも通じる問題として提起しました。彼がこの作品で伝えたかったメッセージを整理してみましょう。
① 革命運動の「理想」と「現実」
映画に登場する若者たちは、それぞれが資本主義の不平等に疑問を持ち、社会を変えようと立ち上がります。しかし、革命の理念を追求するうちに、仲間同士が互いを「革命戦士」として試し合うようになり、やがて内部粛清という恐ろしい暴力へと転じてしまいます。
若松監督は、この映画を通じて「革命とは何か?」という問いを観客に投げかけました。本来、社会を変えるために立ち上がった彼らが、なぜ同士討ちをすることになったのか? その矛盾を描くことで、理想と現実の乖離を浮き彫りにしています。
② 現代社会との共鳴
映画が描くテーマは、決して過去の話ではありません。現代でも、理想を追い求めるあまり過激な行動を取る人々は存在します。若松監督は、当時の若者たちの姿を通して、「社会に対する反発や怒りが、どこへ向かうべきなのか?」という普遍的な問いを投げかけています。
3. 若松孝二の演出スタイル: なぜリアリティがあるのか?
この映画の最大の特徴は、徹底したリアリズムにあります。若松監督は、当時の記録や証言を元に、極限まで現実に忠実な演出を行いました。そのため、観客はまるでドキュメンタリーを観ているかのような感覚に陥ります。
特に、手持ちカメラを多用した映像や、過度な演出を避けた演技指導は、現場の緊張感をリアルに伝える手法として効果的でした。こうした映像美学は、若松映画の特徴の一つでもあります。
4. 『実録・連合赤軍』が残したもの
若松孝二は、この映画を単なる「事件の再現フィルム」ではなく、「社会を見つめ直す映画」として作りました。観客は、革命の理想がなぜ歪んでしまったのかを考えさせられ、同時に「私たちはどのように社会を変えるべきなのか?」という問いを突きつけられます。
また、映画自体が国内外で大きな評価を受け、日本映画史における「革命映画」の傑作として語り継がれています。若松監督の死後も、この映画は上映され続け、今なお多くの人々に衝撃を与えています。
まとめ: 若松孝二が描いた革命のリアル
『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』は、単なる犯罪映画や歴史映画ではありません。それは、社会への怒りや理想を抱えた若者たちの姿を通じて、私たち自身の生き方を問う作品なのです。
若松孝二は、革命を肯定も否定もせず、ただその現実を映し出しました。そして、それを観た観客が何を感じるか――それこそが、彼が映画を通して伝えたかったことなのではないでしょうか。
もしまだこの映画を観たことがない方がいれば、ぜひ一度観てみてください。社会を考えるきっかけになるはずです。