
笑いと涙が同居する映像美学:五所平之助が築いた「五所イズム」の世界
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笑いと涙が同居する映像美学:五所平之助が築いた「五所イズム」の世界
独自の映像表現を追求した映画作家

日本映画史に確固たる足跡を残した五所平之助(1902-1981)の作品には、他の映画監督にはない独特の世界観が漂っている。その作風は「五所イズム」と称され、庶民の日常を描きながらも独自の詩情と人間味あふれる視点で観る者の心を揺さぶってきた。「喜びと涙が同時に湧き上がるような何か」と評される五所の映画美学は、どのように形成され、どんな特徴を持っていたのだろうか。
五所平之助の作品が持つ最大の特徴は、都会に生きる庶民の日常を細やかに描き出し、ユーモアとペーソス(哀感)を見事に交錯させる点にある。過度な感傷に陥らない人間味あふれる温かさで観客の共感を誘うその手法は、戦前から戦後にかけて徐々に洗練されていった。五所は生涯を通じてヒューマニズム(人道主義)的な視点を貫き、人間への深い愛情と信頼を作品に込め続けた。その根底には、映画を通じて「人間讃歌」を謳いあげようとする姿勢が一貫して流れている。
映像面での五所の特徴として、綿密なカッティングとクローズアップを多用したリズミカルな編集術が挙げられる。若い頃にエルンスト・ルビッチの作品に学んだ五所は、場面を細かく分割して組み立てる手法を得意とした。台詞や身振りよりも編集による視線の誘導で詩的な情感を醸し出す演出は、サイレント映画からトーキーへの移行期において独自の洗練を見せていた。例えばトーキー全盛期にあえてサイレント形式を選んだ異色作『伊豆の踊子』(1933年)では、静謐な映像美と叙情性が際立ち、五所の映像詩学が遺憾なく発揮されている。
「五所イズム」を構成する作品世界の要素

「五所イズム」と呼ばれる独自の作風はいくつかの要素から成り立っている。まず特筆すべきは家族や恋人同士の機微、共同体の中での摩擦と和解を描く物語が多いことだ。そうした日常の営みを描きながらも、そこに社会の縮図を見出し、時に社会批評的な視点を織り込んでいく手腕は、五所作品の高い芸術性を支える重要な要素となっている。
五所の作品ジャンルは幅広く、ロマンチックなメロドラマから家族喜劇、社会派ドラマに至るまで多岐にわたるが、根底にあるテーマは常に「人間讃歌」とでもいうべき暖かなまなざしである。どのジャンルにおいても登場人物の機微に寄り添う姿勢は一貫している。特に女性キャラクターの心情描写に優れ、家庭や社会から受けるプレッシャーを繊細に表現した点は批評家からも高く評価された。
音響面でも五所は革新的な試みを行っている。『マダムと女房』で生活音やジャズ演奏を劇中に取り込み、音による笑いの演出を開拓して以降も、音楽の効果的な使用や沈黙との対比によって感情を表現する手腕が光る作品を生み出した。戦後にはステレオ録音など新技術の導入にも積極的で、常に映画表現の可能性を広げようとする姿勢があった。
カラー映画の時代には映像の色彩にも工夫を凝らし、『黄色いからす』(1957年)では心を病んだ子供が色彩療法で復活する物語を描いて色の心理効果を探る実験的試みを行っている。また晩年に手がけた人形アニメ映画『明治はるあき』(1968年)では、日本伝統の人形芝居と映画映像を融合させる新たな表現領域を開拓するなど、創作への探究心は最後まで衰えることがなかった。
繊細な庶民劇に宿る社会意識と詩情

五所平之助の作品には単なる庶民劇にとどまらない奥行きがある。例えば『村の花嫁』や『偽れる娘』では心身に障害を持つ登場人物を扱ったため当時は「不健全」とも評されたが、五所はそうした人物たちに哀感の中に温かな真実の人間関係を描こうとしていた。後年、これらの作品は封建的な村社会への批判として再評価されている。このように五所は社会的弱者や周縁的存在に温かなまなざしを向け、そこから主流社会の矛盾や問題点を浮かび上がらせる視点を持っていた。
戦後には社会の矛盾や貧困にも目を向け、『煙突の見える場所』に代表されるように、復興期の庶民が抱える希望と絶望を軽妙な笑いとペーソスの中に描いた作品も残した。映画史家アレクサンダー・ジェイコビーは「戦後日本が抱える希望と絶望の均衡を見事に描いた作品」と本作を賞賛している。こうした作品は単なる娯楽を超え、時代の空気を呼吸し、社会の変化を敏感に映し出す鏡としての役割も果たしていた。
また五所は『恐山の女』(1965年)のようにオカルティックで暗いテーマに挑んだ作品でも、独特の詩情と人間味を保ちつつ作風に新機軸を盛り込んでいる。こうした挑戦は常に観客との共感を前提としながらも、映画表現の可能性を探求し続けた五所の創作姿勢を示している。
北海道を舞台に愛と嫉妬がもたらす人間模様を重厚に描いたメロドラマ『挽歌』(1957年)も五所作品の特徴を示す好例だ。「五所平之助の作品中もっとも心理描写が複雑な作品の一つ」と評される本作では、幼い頃の病で左腕が不自由な折井礼子(久我美子)が、建築技師・桂木(森雅之)への想いから彼の妻・晶子(高峰三枝子)に取り入り、裏で夫妻の仲を引き裂こうと画策するが、皮肉にも礼子と晶子の間には友情が芽生えるという複雑な人間関係を描いている。封切り当時、日本国内における五所作品中最大のヒット作となり、ハリウッド映画を思わせる壮大な音楽と情熱的な心理描写で五所作品の新境地を拓いた。
チャップリンとの比較にみる五所平之助の普遍性

五所平之助の叙情的コメディはしばしば「日本のチャップリン」と評され、その作風はチャールズ・チャップリンの作品と比較されることが多い。両者の共通点は、笑いの中に哀愁を織り込み、弱者への温かなまなざしと社会批評的な視点を持ち合わせている点だろう。チャップリンが「喜劇の中の悲劇」を描いたように、五所も「笑いと涙が同居する」世界を描き出した。
ニューヨーク近代美術館(MoMA)で1989年に開催された特集上映「Heinosuke Gosho: 7 Films」では、「日本映画の最も重要な監督の一人でありながら西洋では十分紹介されてこなかった」との評価とともに代表作が紹介された。この回顧展の解説では、五所の作品が「笑いと涙が同居する独特の味わい」を持ち、チャップリン作品と比較され得る普遍的な魅力を備えると紹介されている。
また2008年には英語による初の本格的研究書として、アーサー・ノレッティ Jr. による『The Cinema of Gosho Heinosuke: Laughter through Tears』が出版され、国際的な視点から五所作品の分析が行われている。この著作のタイトルが示す「涙を通しての笑い(Laughter through Tears)」という表現こそ、五所イズムの本質を言い当てたものではないだろうか。
五所の作品は庶民の生活に根差しつつも人間普遍のテーマを扱っているため、時代や国境を超えて共感を呼ぶ力がある。チャップリン映画に通じるヒューマニズムと、イタリアのネオレアリスモに先駆けた生活感描写を併せ持つ作家として、五所平之助は日本のみならず世界の映画史においてもユニークな存在と言えるだろう。
山田洋次は「男はつらいよ」シリーズにおいて庶民の哀歓を笑いと涙で包み込む作風を発展させたが、その背景には小津安二郎や山中貞雄らと共に五所が築いた下町人情喜劇の伝統があると言われる。このように、五所平之助の「五所イズム」は日本映画の重要な伝統として後世の映画人にも大きな影響を与えている。彼の作品が持つ笑いと涙、社会性と詩情が交錯する世界は、日本映画の貴重な財産として今なお輝きを放っている。