ウィリアム・フリードキンの代表作と映画史への貢献

ウィリアム・フリードキンの代表作と映画史への貢献

ニュー・ハリウッドを代表する巨匠の誕生

ウィリアム・フリードキン(1935年~2023年)は、1970年代ニュー・ハリウッドを象徴する映画監督として映画史に名を刻みました。シカゴのユダヤ系移民家庭に生まれた彼は、地元テレビ局で郵便配達係から始まり、番組のアシスタント・ディレクターを経てドキュメンタリー監督として頭角を現しました。1962年のドキュメンタリー映画『人民対ポール・クランプ』では冤罪で死刑囚となっていた黒人青年の釈放に貢献するという社会的成果を挙げ、映像の力で現実を変える体験を得ました。この時期に培われたドキュメンタリー的手法とリアリズムへの執着が、後の劇映画制作における彼独自のスタイルの基盤となったのです。1965年にハリウッドへ活動の場を移し、1967年にコメディ映画で劇場用長編映画の監督デビューを果たしました。

『フレンチ・コネクション』が打ち立てた新基準

フリードキンの名声を決定づけたのは1971年の『フレンチ・コネクション』です。実際の麻薬捜査事件を基にしたこの犯罪スリラーは、徹底したリアリズムと骨太の物語で映画界に衝撃を与えました。第44回アカデミー賞では作品賞・監督賞を含む主要5部門を受賞し、その後の刑事アクション映画に多大な影響を与える不朽の傑作となりました。特に高架下を猛スピードで追跡するカーチェイス・シーンは映画史に残る名場面として知られ、以後の映画で模倣される定番描写となりました。セットを一切使わずニューヨークの実際の街角でオールロケ撮影を敢行し、多くのシーンを許可無しのゲリラ撮影で収めることで、映り込む街ゆく人々や散乱するゴミまで生々しい現実の一部として活用しました。この革新的なアプローチが劇映画にドキュメンタリー的な真実味をもたらし、観客を物語の世界へ強力に引き込む演出効果を生み出したのです。

『エクソシスト』が切り開いたホラー映画の新境地

1973年の『エクソシスト』は、フリードキンのもう一つの金字塔です。思春期の少女に憑依した悪魔とカトリック司祭との戦いを描いたこのオカルト・ホラー映画は、超常現象を現実的かつ真に迫ったタッチで描写し、それまで低予算の脇役だったホラーをメジャーなジャンルに押し上げました。公開当時は失神者が続出するほどの社会現象的ヒットとなり、全米で2年以上にわたるロングラン上映を記録しました。第46回アカデミー賞では作品賞を含む10部門にノミネートされ、ホラー映画として初めてアカデミー作品賞候補となる快挙を成し遂げました。強烈な悪魔祓いのシーンや宗教的テーマは世界中の観客を震撼させ、以降の『オーメン』や『シャイニング』などメジャー資本によるホラー映画製作の流れを生み出しました。また「悪魔祓いもの」というホラーの一大サブジャンルを確立し、ホラー映画の地位向上に大きく寄与したのです。

映画史に刻まれた革新と継承される影響力

フリードキンの映画が後世に与えた影響は計り知れません。『フレンチ・コネクション』が打ち立てたドキュメンタリータッチの刑事アクションは、マーティン・スコセッシの『タクシードライバー』をはじめとする後続作品の手本となりました。手持ちカメラや実際のロケーション撮影を多用するリアリズム志向の映像手法は、現代の映画製作者にまで受け継がれています。近年では『エクソシスト』の正式な続編を手がけたデヴィッド・ゴードン・グリーン監督が、フリードキンの「本物の人々を起用する」手法に倣い、救急隊員や警官をキャスティングしたことを明かしています。フリードキンはフランシス・フォード・コッポラ、マーティン・スコセッシ、スティーヴン・スピルバーグらと並ぶニュー・ハリウッドの象徴的存在として確固たる地位を占めており、その作品群は時代を超えて新たな世代のクリエイターや観客を魅了し続けています。観客を現実へ引き摺り込むような迫真の演出、タブーにも斬り込む勇気、そして映画に対する飽くなき情熱は、今なお映画界に刺激と手本を提供し続けているのです。

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