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なぜ圧縮ファイルは「ZIP」なのか——由来はファスナーではなく「速さ」だった

なぜ圧縮ファイルは「ZIP」なのか——由来はファスナーではなく「速さ」だった

パソコンで圧縮ファイルを扱うとき、私たちは「ZIP」と聞けば、ファスナー(ジッパー)で複数の書類を一つの袋にまとめて閉じる様子を思い浮かべます。アイコンにも、たいてい金属のファスナーが描かれています。ところがこの名前は、もともとファスナーから取られたものではありません。由来にあるのは「速さ」です。そして「ZIP」という三文字の裏には、1980年代のパソコン通信をめぐる熾烈な競争と、一件の訴訟、そして一人のプログラマーによる技術的な逆襲の物語が隠れています。

フロッピーとモデムの時代、圧縮は死活問題だった

1980年代後半のパソコンは、記憶容量も通信速度も今とは比べものになりません。データの持ち運びには容量1MB前後のフロッピーディスクが使われ、人と人のファイル交換は主に電話回線経由のBBS(電子掲示板システム)で行われていました。

1200bpsや2400bpsという低速なモデムでは、ファイルサイズがそのまま通信時間、つまり電話料金に直結します。だからこそ、複数のファイルを一つにまとめて容量を縮める圧縮ソフトは、単なる便利道具ではなく、通信費を左右する生活必需品でした。

この分野で当時ほぼ独占状態にあったのが、システム・エンハンスメント・アソシエイツ(SEA)のトム・ヘンダーソン(Thom Henderson)氏が開発した「ARC」です。ファイルの結合と圧縮を一つのソフトで同時に行える手軽さから、ARCはBBSの世界で事実上の標準になっていました。

ARCを超えた男、フィル・カッツ

ここに風穴を開けたのが、ウィスコンシン州出身の若きプログラマー、フィル・カッツ(Phil Katz)氏でした。彼はアレン・ブラッドリー社で制御機器のプログラムを書く技術者でしたが、やがてARCより速い圧縮ソフトの開発に取り組みます。

カッツ氏の真骨頂は、処理速度を極限まで引き出すコードの最適化にありました。速さが要求される重要な部分を、C言語ではなく、ハードウェアを直接動かすアセンブリ言語で書き直したのです。

しかも彼のソフトはARCと完全な互換性を保っていました。BBSの運営者にとって、既存の大量のファイル資産と互換であることは絶対条件だったからです。無料の展開ソフト「PKXARC」に続いて公開された「PKARC」は、ARC互換でありながら圧倒的に速く、瞬く間に広まりました。カッツ氏は1986年、自らの頭文字を冠したPKWARE社を設立します。

訴訟、そして「ARC」からの追放

PKARCの急成長を、ARCの開発元であるSEAは自社への脅威と受け取りました。1988年、SEAはカッツ氏とPKWAREを商標権・著作権の侵害で提訴します。裁判で決め手になったのは、裁判所が任命した専門家ジョン・ナバス(John Navas)氏によるソースコードの比較でした。

両者のプログラムはコメントの文面が一致し、しかも元のコードにあったスペルミスまでそっくり再現されていたのです。1988年8月、両社は秘密の相互ライセンス契約のもとで和解します。後に明るみに出た条件は、成長途上のPKWAREには厳しいものでした。過去のロイヤリティとして22,500ドル、経費として40,000ドル、合わせて62,500ドルの支払いに加え、以後もARC互換プログラムの売上の6.5%を支払う。

そして1989年1月末を最後に、ARCと互換のソフトやファイルを一切扱えなくなるという内容です。カッツ氏は製品名を「PKPAK」へ改名したうえ、ARCとの互換性を完全に捨て、ゼロから独自のフォーマットを作り出すしかなくなりました。

「ZIP」という名前に込めた宣戦布告

期限に追われるなか、カッツ氏は新しいフォーマットの開発に没頭します(母親の家のキッチンテーブルで作業を進めたとも言われます)。この新技術に名前を提案したのが、友人のロバート・マホニー(Robert Mahoney)氏でした。

選ばれた「ZIP」は、「勢いよく素早く動く」という意味を持つ言葉です。低速な回線が前提のBBSでは、圧縮ソフトの価値を決めるのは何より処理速度でした。競合のARCや他のどのソフトよりも速い——その優位性を、拡張子そのもので宣言しようという狙いです。実際カッツ氏は、公開した仕様書APPNOTE.TXTの謝辞で、拡張子.ZIPを提案してくれたマホニー氏へ特別な感謝を記しています。

ここで一つ、よくある誤解を解いておきます。この「ZIP」は、衣類やカバンのファスナーから取った名前ではありません。英語のzipは、もともと19世紀半ばごろ、虫が飛ぶ音や弾丸が空気を切り裂く音を写した擬音語で、そこから「素早く動く」という意味へ広がった言葉です。

私たちが「ジッパー」と呼ぶ留め具にこの語が結びついたのは1923年のこと。米国のゴム製品メーカーB.F.グッドリッチ(B.F. Goodrich)社が、片手で素早く閉められる新しいゴム長靴に「Zipper」と名づけました(商標登録は1925年)。

つまりファスナーの名も圧縮フォーマットの名も、ルーツは同じ「速さ」の擬音語なのです。マホニー氏の頭にファスナーの語感がまったくなかったとは言い切れませんが、主眼はあくまでスピードにありました。

では、なぜ今のアイコンはファスナーなのでしょうか。この視覚表現が広まったのは、ZIP誕生から約10年後です。1990年代を通じて、ZIPファイルは素っ気ない汎用アイコンで表示されていました。

転機は、MicrosoftがWindows 98の拡張機能やWindows Meで、ZIPを「圧縮フォルダ」としてOSに組み込んだ頃です。デザイナーは「中身が封じられ、圧縮された特別なフォルダ」であることを直感的に伝えるため、「ZIP」という名がたまたま持っていた「ファスナーで閉じる」の語感に着目し、フォルダにファスナーを取り付けたアイコンを考案しました。

いわば後付けの視覚的なダジャレです。本来は「速さ」を意味していた名前に、後世のデザイナーが「留め具」という別の解釈を絵で重ねた——その比喩があまりに巧みだったために、「ZIP=ファスナーで束ねたもの」というイメージがすっかり定着したのです。

敗訴を勝利に変えた、仕様公開という一手

新しいフォーマットを世界標準へ押し上げたのは、カッツ氏の巧みな戦略でした。当時のBBSコミュニティには、通信の基盤となるツールはみんなで共有すべきだという気風が強くありました。

ARCの仕様を後から囲い込もうとしたSEAは「独占を振りかざす大企業」と見なされ、訴訟で追い詰められたカッツ氏には「巨大な力に虐げられる個人」として同情が集まります。カッツ氏はこの空気を最大限に活かしました。1989年初頭に最初のPKZIPを公開し、同年2月には、ZIPフォーマットを完全にパブリックドメイン(誰もが自由に使える公共の財産)へ置くと宣言したのです。

ソフトにはAPPNOTE.TXTという技術文書を同梱し、ヘッダ構造から圧縮方式まで仕様を余さず公開しました。誰が実装しても特許料もライセンス料も求めない、フォーマットは永久に自由である、と約束したのです。この一手は決定的でした。

法的リスクを負わずにZIP対応ソフトを作れるようになった開発者たちは、こぞってZIPを支持します。BBSの運営者たちはARCを一斉に捨て、より速く、将来も自由が保証されたZIPへと標準を移していきました。

ARCはほどなく衰退し、ZIPはインターネット時代の揺るぎない標準の座に就きます。法廷では負けたカッツ氏が、技術のオープン化というコミュニティの力を借りて、事業の面では完全な勝利を収めた瞬間でした。

「速さ」を支えた設計思想

ZIPは名前だけのスピードではありませんでした。その速さを支えたのが、独特のファイル構造です。一般には、本の目次が巻頭にあるように、収録ファイルの一覧情報は先頭に置くものと考えがちです。

ところがZIPは、この目次にあたる「セントラルディレクトリ」をあえてファイルの末尾に配置しました。読み取るソフトは、まず末尾から目印を探して目次を見つけ、そこから各ファイルの位置へ直接ジャンプします。

目次を最後に置くこの設計には、大きな利点がありました。圧縮しながら順にデータを書き出し、最後に目次を書き足すだけで済むため、メモリの乏しい当時のマシンでも巨大なファイル群を一度の処理でまとめられます。

既存のZIPに新しいファイルを足すときも、全体を作り直す必要はなく、末尾に追記するだけで完了する。入出力の遅かった時代に、この速さはまさに「ZIP」の名にふさわしいものでした。

もう一つ、遊び心も隠れています。ZIPファイルの各部分の先頭には識別用の数バイトの印が埋め込まれていて、その16進数の50 4Bを文字に直すと「PK」になります。フィル・カッツ——彼は自分のイニシャルを、フォーマットが存続する限り消えないサインとして構造の随所に刻み込んだのです。

Deflateと、姿を消したコンテナとしてのZIP

ZIPはあくまでデータを収める「容器」であり、中身をどう縮めるかは複数の方式から選べます。この柔軟さも長寿の一因でした。ZIPが真の黄金時代を迎えたのは、1992年末に登場したPKZIP 2.04cが「Deflate(デフレート)」という圧縮方式を標準に据えてからです。

Deflateは、過去に出た文字列のパターンを参照へ置き換えるLZ77と、頻出するデータに短い符号を割り当てるハフマン符号化を巧みに組み合わせた方式で、速度と圧縮率のバランスに優れていました。

この優秀さと仕様公開が相まって、DeflateはやがてZIPの枠を超えて広まります。ウェブページの転送を速くするgzipや、画像フォーマットPNGの内部圧縮など、今もインターネットを流れるデータの多くがこの系譜に支えられています。

さらにZIPは、ユーザーが手動で使う圧縮ツールという役割を超え、目に見えない「容器」として日常に溶け込みました。Officeの.docxや.xlsx、Javaの.jar、Androidアプリの.apk、電子書籍のEPUB、地図データのKMZ——拡張子も用途も違うこれらは、実はどれも中身がZIP構造です。

Wordで文書を保存するときも、スマートフォンにアプリを入れるときも、背後ではカッツ氏の設計した高速な展開処理が静かに走っています。試しに.docxの拡張子を.zipに変えて解凍ソフトで開けば、中からXMLや画像がそのまま出てくることも確かめられます。

天才が遺したイニシャル

ZIPというインターネットの土台を生み出し、世界で最も名を知られたシェアウェア作者の一人になったカッツ氏でしたが、その後半生には暗い影が差していました。技術的な成功とは裏腹に、彼は深い孤立と重いアルコール依存に苦しみます。

次第に会社の経営からも遠ざかり、2000年、ウィスコンシン州の一室で、37歳の若さで孤独な死を迎えました。自分の生み出したフォーマットが情報化社会をどれほど広く支えることになるか、彼自身が見届けることはありませんでした。

それでも、彼がコードの隅々に残した「PK」の二文字は、今日も無数のファイルの中で生き続けています。私たちが何気なく開くひとつひとつのZIPの中に、速さへ賭けた一人のプログラマーの署名が、静かに刻まれているのです。

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